第九話 卒業遠足
その次の日の日曜日。遠足の当日はよく晴れた。佐原君が格好を決めてくれたから悩まずに来られた。
鎌倉駅に朝の九時に集合だ。私の家からだと学校に行くよりも近かった。電車の乗り換えもない。
改札口を抜け駅前の広場に出る。人が多くて動けなかった。うちの学校の生徒たちが思ったより集まっていた。
朝、佐原君と電話で話して待ち合わせた。“駅の右側の駐車場に集合”と秀美や公香にメールで送ってもおいた。そっちの方を見ると探さなくても、“神奈川県立総合高校”と学校名が記されたプラカードを生徒会長が持っているのが見えた。集合場所は、正確に言えば不動産屋の前の駐車場だ。学校が旅行会社の担当者に話を通して借りている。手前にパラソルとベンチを出してくれてもいた。その後ろにお店ののぼり旗まではためいていた。
パッと見るだけだと住宅展示場の一角のようだった。生徒会役員になるまでは、この遠足も旅行会社から見ればビジネスだとか、委員会の顧問の奥村先生がどこの代理店にするか決められるとか考えてもみなかった。
「おはようございます! はじめに副担任に点呼をしてください」
生徒会長の隣で奥村先生がメガホンを持って叫んでいる。もう点呼? 腕時計を見る。まだに十分前ですのに。
近づくと奥村先生の隣に井野さんが立っていて、副担任の小池先生と話しているのが見えた。
生徒会の副顧問がうちのクラスの副担任だったのをすっかり忘れていました。お花見の会の時は来ていたはずです。それ以外に顔を出していましたか?
私は知りません。小池先生だけは許せません!
あの姿を見て何があったか分からなかったわけがありません。お手洗いで注意をすればいいわけでなくても、後から教師としてフォローをするべきです。目も合いません。あちらも私が嫌いでしょう。
ああ、学級委員は、しおりを配布しないとならないのでした。田村さんたちが見える。遠目に見ていた。
この駅に集合でよかったと心から思っていた。卒業遠足はディズニーリゾートの希望が多かったけど、バス貸し切りでもお金がかかると却下されたのだ。バスの座席は三人組の私たちは誰かが補助席になります。公香は乗り物酔いするたちなので窓際の席と決まっています。それがだめですと、他の女子のグループと混ざり、秀美の仕切りでアミダクジでもして平等に座る位置を決めるところでした。それまで悩んでいたら持ちませんでした。
「鵜飼さん、おはよう」
佐原君の声に振り返った。水色のシャツにジーンズにスニーカー。なんてことのない恰好が似合っています。
「あ、おはよう。晴れて良かったよね」
佐原君は笑って頷いている。いつも通りだった。田村さんたちの視線も感じる。もう知らないとまで思えませんし、どうすればいいのか分かりません。出来るだけ見ないことだ。同じクラスだ。しおりは配らねばならない。
「思ったより重い。各自でバスに乗る前に取りに来てもらおう」
ダンボール箱を置いて言っている。ケンゴ君が向こうから歩いて来るのが見えた。秀美と公香は見当たらない。
「く、配りたくないので」
「分かっている」
真面目な顔が近過ぎる。後ろにも引けない。教師たちの大きな声に振り替える。説明があるようだった。
しおりは、ダンボール箱を下に置いていたら、副担任の小池先生が来て呼び掛け、みんな好きに取って行った。
副担任や田村さんたちと目が合わない。元から目なんか合わないし、挨拶もしないし、私と話さない人たちだ。でも、ほんの少し前までは、挨拶や雑談をし合う関係ではなくても、地味な方とはこの前のお昼休みの時のように声を掛け合うくらいは出来ていましたのに。お互いに距離や視線や発言を気にしているのが分かる。あと一年近くもこの空気かと思うと気持ちは曇った。
「おー、サトコ。探しっちゃった。どこにいたの?」
公香が笑顔でやって来て聞かれる。さっきからここにいました。不思議そうに丸い目で見つめないでください。
「えっと。遠足のしおり」
手に持っていた冊子を差し出す。私がグループの女子の分は貰って置きました。頷いて受け取られ、首だけで振り返っている。公香の視線を追うと、秀美は駅前で永岡君と話していた。永岡君がピンクのブラウスシャツにベージュのズボンと甘い恰好でいるのが目に入った。その向こうで秀美がうつむきがちに話している。花柄のワンピースなんて珍しいです。二人きりにしてあげたのですね。何人かがしおりを取りにやって来た。
「オッス!」
「親友代表、遅い。永岡君ってよく同じグループに入ってくれたね」
「仲いい奴らとクラスが別れたから」
「特進の一組に入れたよね」
隣で山本ケンゴ君と話している公香に頷きます。永岡君もいつもテストの点数が良く、廊下に名前が張り出されている。佐原君とは順位も近くてライバルでしょう。よく考えたら、隣のクラスなのですから大学に進学をせず、専門学校に進学をされる予定なのですね。
「佐原が終わったら永岡?」
山本君の質問を二人で見返していた。なにを聞きたいのか分かりません。
「お前の冗談が通じていないよ」
「冗談じゃねえ。この前まで佐原のことばっかり聞かれてきた。今度は永岡かよ」
「だから終わっていないよ。勝手に代表になって親友の枠を増やさないでね。遠足のグループのリーダーを譲っただけでしょ」
「だけって、少し終われよ! みんな佐原がやることないだろ」
隣で公香がふっと笑い、目があって笑い返した。いつも通りに笑い、言い合えている。
「江ノ電に乗り換えて移動をする!」
向こうで担任の安達先生が叫んでいる。佐原君に微笑まれて頷き返す。さわやかでやさしい。
こういう時になると、毎日でもホッとしている。今、気が付いた。
佐原君は山本君になにか言われて返しながら前を歩き出した。リュックを背負い直し、その後ろを歩きながら考えた。いちいち不安の材料を数えるようにして考えたくないことを考えるのをやめよう。自分に自信を持つことはかんたんに出来そうにないけど、佐原君を信じていないみたいだ。
朝来る電車で田村さんたちがどういう風に来るかは不安だった。でも、佐原君はいつも通りだろうって思えた。
少し……。ほんの少しだけは不安だったけど、昨日、家の前に送れた時も元に戻してくれたのは分かっている。
佐原君の紺色のリュックのポケットの辺で銀色がキラリと光った。
あっ……。“S”の文字が揺れていた。私があげたキーホルダーだ。つけて来てくれたのも気が付かなかった。私の“S”は家の鍵につけたままリュックのポケットの中にしまってあるのに。
「今日、海辺でバーベキュウがあるって知らなかった」
向こうから秀美が歩いて来て話している。永岡君とそういう話をしていたのですね。
「私も学級委員でなかったらそこまで知らなかった。いっぱい食べましょう」
「太るよ」
不服そうに返され、隣の永岡君をそっと見ている。
なんてことでしょう。いつもの秀美なら、“おー!”とすぐに同意をしてくれるに決まっていますのに。
「今日は特別!」
公香が隣で言っている。
「そんなに量が出ないよ。生徒会で遠足の予算がないと揉めていたでしょ」
佐原君は振り返って微笑んで言い。私を見て来る。その視線は後ろに行って笑顔が消えて真面目な表情になる。
「やだあ!」
田村さんたちが笑いあう声が聞こえてきている。振り返れとでも言いたげに叫んでいる。心配してくれている。
「江の島の頂上で食べるのでなかったの?」
公佳が聞いている。斜めに視線が交差した。田村さんたちに会話に参加されたくないのは分かります。
「海辺だよ。誰か覚え間違えたよ」
佐原君が言っている。誰かが公佳に言い間違えたのは私ではないとも分かってくれている。
「量がないって、どうして言えるの?」
「うちの商店街から学校が仕入れているからだよ」
ケンゴ君が公香に答えている。ぶっきらぼうな態度です。公香と仲良くなりたいと理解してもいいでしょうか。
「布団屋は商店街の局長だから情報通」
「余計なことを言うな。局長でも儲かってねえ。マジめんどうな役回りだし。野菜も含めれば、思ったよりは量が多いかもしれないな!」
「女子にとってはそうでしょ。期待をさせすぎてもよくないからね」
アハハと佐原君が笑っている。この佐原君がいる仲間の輪の安心感を後でうまく言いたい。どう言ったらいいのか分からないけど、思ったことを伝えればいい。