曖昧ゾーン (25)

第八話 - 2 頁


 その日の生徒会の話し合いは、各学年が机を合わせて固まり、今後の行事の予定や報告をしあった。
「先ほど顧問の奥村先生と話した内容を女子の皆さんにもお伝えします」
 肥田さんが全体を見回しながら話している。佐原君と大村君の他の三年生の男子に三橋君がメールを出してくれたから資料室に手伝いに行った。なにやら揉めたらしく、睨みつけられている。
「三年生はこの時間、明日の遠足の役割分担を確認します。その後は、男子だけ資料室に残ってください。遠足のしおりが印刷所から届いたので、軽く製本状態を確認しつつ、クラスごとにダンボール箱に詰めるまでの作業をして下さい。五人で三十分もあれば終わると思います。明日の集合場所で担任から学級委員が箱を受け取り、配布をする流れです。顧問とも話して決まりました」
 はじめに生徒会長らが黒板の前に立って配られたプリントに視線を落とした。今後の行事について詳細が書かれている。また両面刷り印刷で読みにくい。明日は卒業遠足。その後は体育祭。夏休みの後は、文化祭が待っている。
 卒業式の準備までに、こんなに行事が残っていましたか。楽しみでもユウウツです。嫌な予感がしますし……。
 向かいの席で佐原君はいつも通りだった。磯さんは隣から私を覗き込んで来る。明らかに何か言いたそうだ。
「女子の皆さんは、明日のために寄り道をせずに帰り、準備を完璧にしてください。私服の日ですが、生徒会の皆さんは学校の遠足にふさわしい恰好を心がけてください。バス移動の際の酔った時のための袋やゴミ袋やバンソウコウなどは、自分の分だけでなく、クラスメイトの予備を準備しておいてください。確認を怠らず、忘れ物をせず、駅前集合に遅れないようにお願いします」
 え? 思わず顔をあげてしまった。肥田さんは淡々と説明をした後、ノートを捲っている。文字がびっしりだ。
 お手本になるためにズボンで地味な格好でまとめ、忘れ物をしないのは分かります。でも、予備って……。
「遠足の話の前に昨日の企業見学会の感想を各クラスから下さい」
「す、すみません。予備が必要な三点の合計数を決めて貰えませんか」
 言った! 佐原君が頷いてくれた。少し笑んでいる。私もこうやって生徒会の一員になって行くべきなのです。
「えっと……。三点と決めたわけではなくて。三点などという意味です」
「でもさ、などって分からないよ」
 磯さんも言ってくれた。丸い目に頷く。公香より丸いです。仲良くなれそうな人が出来てホッとしました。
「すみません、など、とは、なにですか?」
「三点でいいのだろ」
 肥田さんの隣で井野さんが質問をし、大村君がすぐ返している。“三点など”という指示もやめて欲しいです。
 生徒会のペアだけ机を合わせて向かい合わず、黒板側のいわゆるお誕生日席で横に並んでいる。一組が生徒会長のペアだから前から順番に並んでいる。五組は末席で端だ。自分の反対側の隣はいない。気楽でよかったです。
「ですが……」
「うちそんなに用意が出来ない。吐くようは紙袋がいるでしょ。小ぶりでしっかりしていないとだめでしょ」
 佐原君が言っている。紙袋とビニール袋を重ねるだけでも手に持つサイズがいるのでした。
「百円屋で買っていった方が早くね?」
「吐く用の袋は前に見た」
 三橋君と新藤君が言い合っている。それ用の袋? 見たことがありません。どういうものでしょうか。
「予備はあくまで予備なので、買うことはないです」
「うちには無難な紙袋がないと思う。女子が用意をすればいいだろ。役割分担」
 予想通りのことを三橋君が言っている。女子に回って来そうでした。でも、足りなくなると困ります。
「急に言われても……」
 三橋君の向かいの女子が言っている。三組のペアの方はどなたでしたか? ルーズリールノートをそっと覗いて文字を追った。
 生徒会のメンバー表はちいさくコピーをしてきり取り、貼ってきました。中岡さんでした。二組の新藤君とのペアが中山さん。お二人ともフチなし眼鏡をかけていますし、似たようなボブの髪形をして、雰囲気も苗字も似ていて分かりにくいです。
 どうして四、五組だけ男女の並び方が逆なのですか? 特に意味はないのですか。大村君が自由なだけですか。
「なぁに?」
 中岡さんを見ていたら無表情に聞かれてしまった。顔と名前を覚えようとしていただけです。ごめんなさい。
「お菓子なら……。家庭科クラブが持って行くべきかと。中岡さんはパソコンクラブでしたか?」
「ああ、そうそう。私たちはノートパソコンを持って行ってもいい?」
「学校のブログにうちらのクラブで書くからね」
 中山さんが続けている。秀美の情報源のおかげでうまく会話を回せました。このメンバー表を見た時、この二人は仲が良くて、秀美の友達と同じパソコンクラブだと教えてくれた。お任せできることは頼みたいです。
「それで良くないです」
 肥田さんが言っている。それで、とは、どれで、と言いたいのかも分かりにくいです。
「などって、井野さんが言ったのに」
「記録は頼んでも……」
 磯さんと同時に言葉を発して見合ってしまった。磯さんに頷く。私も同じように続けて思いそうでした。
「分からないよ」
 佐原君は首を傾げて見て来る。それは突っ込まなくてもいいのでは?
「今のなどって、言い方がね、分かりにくいよって井野さんが私に注意をしたのに。肥田さんも分かりにくい」
「生徒会長とここでは呼んでください。戻します」
「ちょっと待ってください!」
 中岡さんが手をあげている。私も手を少し上げてから発言をするべきでした。絶対に注目をされますし、たいしたことではなかったです。
「予備の品をなどと言われても分からないと、磯さんが言った。佐原君は、でも、なにですかと聞いた」
「あ、そうだった。中岡さん」
 磯さんがすかさず言っている。会話の展開が早くて、私はどれも分からないと言いたいです。
「私と中山っていつも間違われるから」
「分かる! うらやましい。アハハ」
 隣で笑いながら何度も頷いている。明るい人です。磯さんが周りに好かれるのは分かるな……。
「なにがうらやましいの?」
「嫌味かと聞き合うのはやめよう」
 佐原君はやわらかく言っている。ごもっともな意見ですけど、今は聞いてもよかったのではないでしょうか?
「お二人とも似ているので」
 私が言います。うらやましいです。
「目立たないよね」
 やっぱり磯さんは同じような価値観を持っている方でした。
「なにが言いたいのか分からない」
 大村君がボソボソと言っている。言葉を発するだけで怖いです。
「集団に埋もれると、大村のように目立たないから羨ましいと言っているだけでしょ」
「俺は目立ちたいわけではないって!」
 生徒会で一緒になって、公園の遊具で危ないことをしていたような不良の方たちと違うのは分かりました。
「いえ、自分は、など、が分からないと聞かれたことを分からないと言いました」
「肥田生徒会長の言うとおりです。記録係が間違えないでください」
 三橋君に真面目に言われて中岡さんが頷いている。そんな記録までするのですか?
「会長さんよ、略しすぎだ!」
 大村君が強く言って前のめりになっている。
「分かりました。急がず、順番に決めていきます。しおり係がノートパソコンを持ってきてしてください」
「うちにデスクトップパソコンしかありません」
 肥田さんに嫌そうに見られる。私ごときが頼んだらいけませんでしたか。どうせうちはアナログです。ひねくれそうです。でも、こうやって話していると、うちってひどい。どういう家でしょう。ものすごく貧乏そうです。
「でも、うちのクラスが記録係だし」
「中岡さん、今の、でもは、どこから来ましたか?」
「井野、この前からムカつく」
 三橋君はスネオタイプだと思っていましたけど、ひとりでズバリとも言うのですね。デキスギ君のようです。
「僕はこの前、記録係としおり係が分かれているっておかしいと言ったよ」
 びしりと佐原君が言う。周りの視線を一斉に浴びている。お花見の会で仕切り屋のように言われていましたのに。佐原君はナイスガイなだけでなく、意志が強くてすごい方です。私は頷いて加勢をすることしかできません。
 もう一度、お花見の会で井野さんを中心にしてみんなが揉めた時と同じような場面があったら……。
 お手洗いにでも逃げると思います。どなたかの兵隊にもなりたくはありません。
「ノートパソコンって買わねばならなかったのじゃねえ?」
 大村君が佐原君に乗り出して聞いている。本当に仲がいいのですね、と何度も思ってしまいます。
「義務じゃない。マイパソコンがあれば問題はないでしょ」
「マジかよ。うちでは義務だと言っていた」
「入学した頃に配られた冊子に書いてあったでしょ」
「保護者が勘違いした。恩を着せられた」
「うちも最新を買ってやったと何かのたびに言われるよ」
「四組と五組の方々は本題から逸れています。三年生にもなってそんな会話をしないでください」
 大村君と佐原君が楽しげに話していたのに、肥田さんが遮った。二人で同時に睨んでいる。肥田さんは固すぎます。私も嫌いになりそうです。
「三年生にもなって、自分が人のことを考えなさすぎ。出来れば買えと言われても困るよ」
 佐原君は肥田さんと見合っている。私のことを考えてくれている。ありがとうございます。でも、うちはマイパソコンでもなくて家族共有です。父が学割で購入が出来るパソコンのチラシを見てはいましたけど、授業では専用のパソコンルームに生徒一人分があるのだから、リビングにパソコンデスクを置けばいいだろう、学割利用でプリンターだけは買ってやる。モトコもパソコンは持って行かなくていい学校を選びなさい、と片付けました。
 通販でパソコンデスクトップと回転チェアを母が選んで買い、私とモトコで組み立てました。父が書斎で使っていたパソコンや周辺グッヅを下ろし、自分用に新しいデスクトップパソコンを買っていました。佐原君に良いお家だと褒めて貰えましたのに。これも言えやしません……。
 ノートパソコンをひとり打っていた中岡さんと目が合った。
「ごめんなさい。私の仕事を任せたら違いました」
 フチなしの眼鏡をかけ直している。そちらも私の顔をよく見たことはありませんよね。
「そんなことない。うちはパソコンクラブで発表をするから記録係になりました。二度手間になります」
 前で三橋君が頷いている。三橋君もパソコンクラブだったのですか。自己紹介をした時、新藤君と一緒のバレー部だと記憶をしてしまいました。中岡さんと中山さんと三橋君はパソコンクラブに所属。またこんな時の話題のためにこのくらい覚えておきます。
「そんなに私と中岡って似ている? 区別がつかないくらい? 困る」
 中山さんが場に合わない明るい声で言っている。
「平気。俺たちはここで覚えられるよ」
 佐原君は悪気がなくても、後に引きそうな発言が多いです。アイドルさんの自覚を持ってください。
「でもさあ、クラブで分ける方が無難」
 新藤君も賛成してくれた。お菓子は買ってきますから、そうしてください。記録係はしおり係でないのです。
「今、新藤君が言われました、でも、という発言は、自分への嫌みに聞こえました」
「イヤミだ! 二人が似ていようがいまいがどうでもいい」
 新藤君は不機嫌に唾を飛ばして怒っている。みなさん生徒会長を嫌いなのは分かりました。この議論が私のせいのようなので遠足に持って行く予備の物の話に戻ってください。
「ひどいよ」
「中山、ウザイ。俺は長引かせないで欲しい。いつもだらだらしすぎ」
 思わず視線を落とした。ウザイ。私の胸に痛く来ました。新藤君は口が悪いタイプなので、自分に向かってまたなにか言われても、重く捉えないようにします。
「もしそう決めるのなら、クラブがある先週に話し合って貰うべきでした。お菓子も買うだけでしょう」
 肥田さんの言い方はカッチンと来ます。買うだけ、ではないです。
 同じテーブルを囲む全体が乱暴にノートを捲ったり、わたしのようにシャーペンシルの芯を追ったりしている。
 他の学年で固まったテーブルでも同じような議論をしている。まとめ役が生徒会長や大村君ほどの威力がなく、騒がしすぎます。生徒会室の全体に不満の空気が沸き上がっている。顧問は理科室で仕事をいるから、なにかあったら声をかけてくれ、と顔を出しただけだ。
「予備がいるとあがった三点は、ひとつずつ持って来た方がいい。学級委員が自分の分だけでなく、予備を持って来れば、二人分は余分にあるわけでしょ。担任も持って来てはくれるでしょ」
 目が合った途端に頷いた。賛成です。個々人で持って来て貰い、学級委員が予備を一つずつと。さすが佐原君。
「足りなくねえ? 吐かれたらいやだ」
「吐くようの紙袋を持たされるとダメだという奴が前にいた」
 佐原君の言葉に三橋君と新藤君が返している。
「吐く、吐くと言うな! バスの中が最悪になるだろ。うちのクラスは吐かせねえ」
 大村君が怒っている。やっぱり恐怖の存在です。俺と同じバスで絶対に吐くな! と決めつけないでください。私は乗り物酔いするたちではありませんけど、プレッシャーに弱い自覚は大いにあるので困ります。
「あのさあ、こういう時は、生徒会長でなく、学年代表の大村が仕切るべきじゃねえ?」
「俺もそう思う。どうで学年代表なのか分からない」
 また三橋君が言って、新藤君が続いている。女子のグループだったら、ジャイアンとスネオが入れ替わることはありませんのに。男子は場面によって入れ替わる。机を四角く合わせた三年生の全体が肥田さんでなく、佐原君の隣の大村君を見ている。
「そうしてくれる?」
 大村君は穏やかな表情に変わり、肥田さんに微笑んでいる。その言い方……。
 鈴木君となぜかぶるのでしょう? 鈴木君もちょっとした不良で乱暴な面もあったからですか。でも、他までかぶる面はないです。もう思い出す必要はない。今は関係がない。佐原君を見る。スマホを打っている。
 もう過去です。同じ中学校からうちに来た生徒は、私を入れて男女のひとりずつしかいないのですから……。

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