第四話 - 3 頁
「なにが困ると言っていますか」
井野さんは姿勢を正して聞いて来た。
「私が分かっていないと言われても、スマホユーザーでないと参加もできていません」
「ですから、生徒会は使用許可を顧問に貰っています。自分で購入が出来るのなら用意をしてください」
「誰が決めたことですか。自分のお金ではありませんし、うちの父にそんな言い分は通じません」
どうしたら私が買えますか? そんなにお小遣いを貰っていません。私や友人たちが違うだけですか。
「鵜飼さんのお家の事情を聞いていません! お家の方に理解をして貰うのも生徒会役員の仕事です」
叫ばれ、唇を突き出された。お前なんかがうるさいと言われているのも分かる。副会長がそんなに偉いのですか。同じ学年の生徒会役員同士でしょう。私が先に睨んでいましたか。
井野さんがお金持ちのお家の方なのも伝わってきます。はじめにそれを気にする公香の気持ちがよく分かりました。あなたたちは、親に頼めば買って貰えるのですね。役員の仕事と言いつつ、例外者の家まで知らぬ、自分でどうにかしなさいと一刀両断をしますか。この距離を埋められることはないです。
「他の方のお家は違うでしょうから」
「嫌味です。おにぎりを決めてしまえば問題はなかったです」
「うちの親は買えないから働けと言っています! 携帯電話がないといけませんか!」
高木さんが言い、その隣の子が叫んでいる。井野さんはポシェットからお財布を出したままぐっと黙り込んだ。
そう聞かれたら、携帯電話を持っていなくても問題はないと答えるしかないでしょう。学校内でのスマホ利用は基本的に禁止です。いくら許可を取っているからって、持っていない人もいるのを分かっていて、私はおにぎりのことすら分かっていなかった、と攻められるのはおかしいです。重要なことは黒板に書いてください。どれも突き出された唇に向けて言ってしまいたい。
「ですから、強制なわけではありません。お小遣いを貯めて周囲に合わせる努力もするべきです」
「お小遣いの問題ではなくて、スマホは中毒になりかねないから、未成年のうちに持つのは早いと言っていました。うちの親は間違っていますか!」
「落ち着いて下さい」
「先輩が私の友だちに失礼なことを言ったのが分からないのですか」
高木さんはしゃんとして井野さんに向き合っている。逃げ腰の私とは違う。私には絶対にできないことができる女子たち。出来る限り関わりたくはありませんけど、尊敬はします。
「ですが」
「井野さん、親の考えまで変えられない。俺の家も夜は使用禁止と決められている。そこで連絡を回されても返事は朝になる。学級委員のどっちかが分かっていればいいと生徒会長が決めたのだろ。先に謝るべきでない?」
新藤君が輪の前に出て言っている。確かにうちの親もスマホ中毒になることを心配しているのだとは思います。
「同意見。会合のやり方を見直せばいいことだ。お小遣いを貯めるのも時間がかかるし、貯金を使えでもない。結局、生徒会役員も使用不可に戻る。俺らがえらそう」
新藤君の斜め後ろで三橋君が言っている。
「ですが、おにぎりは買いませんと」
「おにぎりが重要?」
井野さんは肩を震わせている。男子が加わって井野さん攻撃のような場になるのもやめてください。集団でいじめているようです。
「皆さんが食べたくないなら構いません」
「誰も食べないと言っていない。荷物持ちに来たのに後悔するようなことを言わないでくれる?」
「私たちも同じですよ。先輩が買い出し係を誘うべきでした」
新藤君と高木さん、それはそうなのですけど。井野さんも謝ってしまえばいいのにと思うのですけど……。
「佐原君のペアの方は、佐原君がスマホを持っているのですから、見せて貰えば良かったでしょう」
井野さんは少し笑っている。なにを言われているのか分かりません。大村君と磯さんの場合も同じはずです。
「意味が分からない」
低い声に変わった三橋君を斜めに見上げた。肌が白く背が高め。銀縁メガネにかかった髪の毛も整っている。永岡君はピンときませんでしたけど、この人が良いお家の息子さんなのは分かります。
「この人、佐原のファンではなさそうじゃない?」
顎でしゃくられる。え。新藤君、なぜそっちの問題に行きますか?
「たまごっちのアイデア、肥田さんも関心をしていました。ですが、佐原君のアイデアだとは思いません」
井野さんに睨まれ続ける。誰のアイデアにしてもいいですよ。うちのクラスの意見として提出をしたのですし、関心をされるような内容を書けたのは、おもちゃに関してもたくさん知識があった佐原君の力に他なりません。
「たまごっちって、なにの話?」
新藤君に首を傾げて見下ろされる。一遍に違う内容の会話を交差させるのが苦手です。
「校則で変えたい点です。クラスごとに話し合うことではありませんでしたか」
「あー、確かに佐原の意見でなさそう」
「なんか逸れていない? 佐原は嫌いだけどさ。ペアにはスマホを見せろと決められても困る。俺は女子と気が合わないから、そんなにペアで教え合うものと決められても、恋人でないし、一緒に立候補をしたわけじゃないし、嫌になる」
淡々とした声が傍で響く。三橋君……。佐原君を嫌っていそうでした。
なんでしょう。この沈黙は。売店の前で輪を作っていたら他の花見客に邪魔でしょう。
「分かりました。生徒会副会長として、肥田生徒会長に伝えて会合のやり方は考えて貰いますし、今の会費の使い方も説明して貰います。今はおにぎりを買って戻ることにします」
「肥田に言う? 自分がケンカを売ったのだろ。だからムカつくと言っているのが分からない?」
うわあ。新藤君が井田さんに顔を近づけている。そこまではっきりと言われたら、もうなにも言い返せません。嫌われてムカつかれて結構となります。
「佐原のせいじゃないの?」
「どうして」
三橋君の質問に返した。声が思うように出なかった。見下ろして来る視線がなにを言いたいのかも読めない。
「女子の皆さんは佐原がお気に入りでも、男子は嫌いな奴ばっかりだからだ」
きっぱり三橋君が言い放った。首を振る。やめてください。佐原君は生徒会の中で話しているようでも、同級生は大村君と以外は話しているのを見たことがないです。でも、下級生たちまで佐原君に嫌な感情を持っているように見えませんでしたのに。ここで変なことを言い合うのは……。
「佐原も鵜飼さんくらい謙虚な方がいいって。なんか俺がなにでもやりますって感じじゃない?」
新藤君と目が合ったのと同時に言われてしまった。だからその面白そうな顔をやめてください。まだ言いたいことがあるのでしょう。私はそういうことだけは分かるのです。サロペットのポケットの上を両手で握りしめる。ゆがんだ笑い。その続きを言うのまでやめてください。
「男子生徒の方でも佐原君のすごいところが分からないって人、生徒会にいないはずです」
「だからムカつくと言っているのが分からない? 立候補をしたわけではないだろ」
全体に見られる。井野さんだけはスマホを打っている。私が明らかにできないのは、くじ引きで選ばれた委員だからじゃない。こういう場が苦手過ぎるからだ。佐原君が嫌いな肥田さんまでここに加わったら……。
「佐原君の方が困っていると思います。わ、わたし本当にできないですから」
「別にいいって。佐原は困ってもさ。俺たちの方が迷惑している」
「そうそう。少しは困れよ」
三橋君と新藤君が言って二人で低く笑っている。なにが面白いのでしょう。私みたいにできないのではなくて、優秀だからこそムカつかれるって違う。佐原君だって大変だったと言っていました。
「すみません、私からも佐原君に対して、ひとこと言わせて貰っていいですか?」
「もうやめてください!」
隣にいた高木さんに向き直った。
「私も佐原君のその他大勢のファンのひとりです。佐原君は良い人です。悪口を言うのなら私にしてください」
高木さんも睨みつけてしまった。あなたは田村さんと同じようなタイプです。今はなにも言わないでください。
「えー。先輩、そんな風に佐原さんのことが好きなのですかぁ?」
「やだぁ」
二年生の三人に揃って笑われる。さっきまで親しげに私に話しかけて来ておいて、その態度はどういうことですか。嫌な予感はしましたけど、悪い方に取らないようにしていましたのに。高木さんは、してやたりという笑顔を向けて来た。
私に負ける覚えが全くない。本人も勝てる気がちっともしません。この場から立ち去りたいです。
「なにも言えないならさあ」
「いいえ。言えます。佐原君が好きです! 私にこの場の話し合いは関係がありません。もう帰ります」
誰の顔も見ず、クルリと背を向けると、多くの人たちがこっちに流れて来ているのが目に入った。ハイキングコースの出入り口だ。案内の看板をめがけて走り出した。
背中に視線を感じる。もっと早く走らないと追って来られても困る。人混みの中を逆行し、土道に入った。
走って、走って走りまくる。私はなにを「いいえ」と続けていますか?
高木さんが挑んで来た時の目は怖かった。なにも言えないならさあ? だからって黙れなかった。
あなたたちの方が最悪だ。
そう言えるまでになりたい。結局、言い捨ててその場から逃げた。ああ、こんな私がペアですみません。
でも、私には関係がないと言ってやりました。曲がってわき道に入り、土を踏みつけて走り続ける。
彼らはこの後、悪口大会になるのかもしれない。でも、そこに参加なんか絶対にしていたくない。
佐原君だって私のことを……。
そうだ。私に関係がない。佐原君への妬みでも嫌った理由があっても関係がない。それで私自身が嫌われても関係がない。もともと男子は苦手ですし、女子にも好かれるタイプでもないのです。
スニーカーが木の根っこに取られてつまずきそうになっても止まらず、わき道から坂道に出、数メートルを下り、バス通りに出た。バス停には高齢者しか見当たらなかった。走り捲ったから汗が流れ、息が切れた。
ポケットからハンカチを出して汗を拭こうとしていたら、バスはすぐにやって来た。最後に乗り込んだ。カードをタッチして振り返る。
アナウンスがかかり、ドアが閉まる。公園が遠ざかって行く。誰も追って来ていないのを確認し続けてしまった。
誰かが追って来て、なにか言われたところで無視をしてやればいいことです。今度こそ、あなたが最悪だと言ってやりなさい。
いいえ。よくあそこで即答ができました。二度とできると思えません。そこまではムリです。もう帰ります。
バスはお花見をして帰りの人たちで混んでいた。車体がガクンと揺れ、慌てて手すりを持った。
あの場の雰囲気に挑発をされてとんでもないことを言ってしまいました。この後の生徒会の会合はどうするのですか。うまく話せもしない小心者なのですから、売られたケンカを買わず、ノーセイで良かったですよ。生徒会の中でも特に気の強そうな人たち全員の前で叫ぶことまでなかったです。
佐原君を好きだなんて。だから、私には関係がないなんて。
ああ……。手すりをぎゅっと握り締め、顔を伏せた。もう少し違う言い回しで良かった。ここで後悔をしても遅い。でも、あの人たちはダメだ。自分がなにに関してもとろい自覚はあるけど、ああいうのだけは分かる。その勘が外れてなんかいない。
どれだけ話し合っても、ああいう人たちが変わりません。その期待をする方がバカを見るのです。
私が解決まで出来ませんでしたけど、とんでもない発言のせいで、あの場だけは止めました。佐原君の悪口より、私の叫びの内容に女子たちは行くでしょう。おにぎりを買うか否かの問題も残っています。なんだったのだと肥田さんに報告をして、お花見の会は進行をするでしょう。そっちにまで私のことを報告すると思えません。二年生の子たちは、私が佐原君と仲良くいて、面白かったわけがないのです。
バスがカーブをして停まった。人が乗り降りする。出入り口のすぐそばにいたから、立っていた位置を奥へずらし、片方の方に下げていたリュックを背負い直した。
秀美と公香がこの揉め事を聞いたら……。あのサトコが! と言い合ってくれる。大さわぎします。
「あら!」
「すてきねえ」
次々と歓声があがった。首を伸ばして外へ視線をやった。桜の花びらが風と共に舞い、窓の外の全体がピンクで覆われる。風に揺れながらゆっくりと下に落ちていく。思わず手を伸ばして、触れたくなった。
バスが走り出し、細く白い線となって消えていく。現実ではなく、映画のワンシーンのようだった。
今だけは自分を褒めてあげよう。あのサトコがよくやった。少し笑って落ちつけた。