曖昧ゾーン (4)

第二話 - 2 頁


 放課後の音楽が鳴っている。でも、私は、担任に配られた“新学級委員へ”のプリントを見ながら歩いていた。
 部活が終わった後、教室でリュックに荷物をまとめて秀美や公香と別れ、生徒会室にひとり向かっている。
 こんな風に歩くのは、高校入学以来で始めてだ。放課後の校舎内は思っていたより部活やお喋りの音がした。家庭科クラブは授業内の時間しか活動がないし、校内で友だちとお喋りをして放課後まで残ることもない。
 階段を上っていくと、水槽が夕日に反射して眩しかった。大きな水槽がいくつか並んでいる。気にしたことがなかったけど、金魚や亀が泳いでいる。校舎の五階まで登るだけで息をついてしまった。
 赤い日が射す窓からは旧校舎の屋上が見えた。軽く覗き込むと明らかに部活動と思えないカップルたちが集っていた。ここは新校舎の最上階でした。あー、こういう風に見ないと決めたのです。
 プリントをもう一度だけ確認した。生徒会室に行ったことがないどころか、どこにあるのかも知らなかった。
 理科室の前を通る。特に見たくない人体模型まで前に飾られていた。さっきまで私がいた家庭科室があり、下校の際の注意事項をアナウンス中の放送室がある。校内見取り図を高校三年生になってまじまじと見ながら歩く。
 くじ運を呪います。突き当りの教室。ドア前の銀のプレートに“生徒会役員室”とあった。やっと着いた。
「あ、五組の人だよね? はじめまして!」
 ドアの前で振り返る。あ、大村君といた四組の女子だ。笑顔を返す。良かった。ひとりで入りたくなかった。
「はじめまして。鵜飼サトコです」
「イソです! サザエさんの磯だよ。先にお手洗いに行こう」
 にこにこと言って向かいのドアの中へ入ってしまう。もう済ませてきました、と言えるわけがない。
「あっ、鵜飼さん、肩までつく髪はゴムで結んでおいた方がいいよ。髪飾りも禁止。大村君に注意された。学級委員に選ばれたからってビックリ」
 小柄でかわいい感じの磯さんは、笑ってポニーテールを揺らしお手洗いの個室に入っていく。
 教室から持って来たリュックを肩からおろし、ポーチを取り出した。髪のゴムやバレッタは、クラブがなければ持って来ていません。でも、バレッタも校則違反なのでした。佐原君だって、新入生がシュシュを髪飾りにしないように注意していました。いつ注意をされるのですか? 私は一度もされたことがありませんよ。
 この水色のリボンのバレッタは、女子だらけの家庭科クラブの中でも地味な方です。みんな守っていなくても、顧問にも注意をされなくても、学級委員は生徒の模範なので守らねばなりませんか? 髪は美容院で次に切るまで結ぶのは構いません。水色のスカーフはつけていたいのです。式典の時以外は外さなくてもいいですか。
「あの、四組の方が学級委員の代表のクラスだと担任が言っていたのですけど、生徒会長は肥田(ひだ)さんですよね?」
 ハンカチを口に加えて手を洗っている磯さんに聞いた。小さい花柄のトートバックだけで荷物をまとめられますか。
「うん。うち副会長のペアになるのだって。でも、大村君は、顧問のクラスが自動的に副になって、サポートするのっておかしいから、うちが代表になるべきだって、文句をつけに行ったみたい。関わりたくないから後から来たの。だって、生徒会長は、文化祭の選挙で決まったのに、変えられるわけがないのにね。自分が立候補をしろ、って話だよ。私は副で充分だと思うし、奥村、若いから押し付けられたに決まっている」
 頷きながら話を聞いていた。みんな記憶力がいいなあ。文化祭で次の生徒会長を選出していたことすら私は忘れていました。大村君に立候補しろ、なんて言えません。実は生徒会長になりたかったのですか?
「そのリップかわいいね! ジブリのコスメもあるって知らなかった」
「トトロの柄はありました」
 私がドア側にいたのに、先に磯さんが開けて待って貰ってしまった。お手洗いに入ってもいないのだから、さっさとそのくらいするべきです。磯さんの後から出てドアを閉められた。
「ありがとう」
「なにが?」
 丸い目を見返していた。よく分からないと言っている。私、重いと言われる性格をやめましょう。それ以上、なんとも聞かないで貰えますか。たいしたお礼ではないのです。まだ見られている。
「待っていて貰ってしまったので……」
「あー。肥田生徒会長と佐原君だけが三年連続の役員だから、会長と副に適しているのにね」
 変わりのない笑顔で言われる。え? だけって、生徒会のメンバーを全く認知していません。手に持っている両面刷の紙には、学校の全体図面がカラーで大きくあり、モノクロ印刷側が生徒会規約の記載をしてあるだけでした。
「そちらのクラスが副でいいですよ。うちのクラスはくじ引きの選出なのです」
 私の言い方は偉そうですか? でも、自動的に私まで副生徒会長を任されたら、全校生徒の前で壇上に立ち、なにかひとことと話さねばならなくなります。佐原君は余裕でこなせるでしょうけど、私にはムリです。今日の自己紹介を考えても、絶対にできません。自分自身の限界というやつです。断われるなら言っておきます。
「クジって誰が作ったの?」
 やや茶色がかったポニーテールが元気に振り返る。ぶつからないようにさっと避けてしまった。私って自分が考えていても感じが悪いです。第一印象が就職活動でも大事だとマニュアル本で学んだばかりですのに。
「安達先生です」
「えー。奥村も作ってくれればよかったのに! うちなんかじゃんけん選抜だった。私たちだけ誰にも勝てなかったの」
 アハハとドアを開けながら笑っている。その発言、私にはとてもできません。担任の安達先生は手間がかかるくじ引きを作っていたせいで、プリントのまとめができず、学級委員への説明を省いたに違いありません。
「じゃんけん大会は嫌ですね」
「だよね! よく男子のみんなが大村君に勝てた」
 アハハと笑って、あ、というように開け放ったドアをノックして入っていく。奥の鋭い目と合ってしまった。
「失礼します」
 今の会話……。大村君に聞かれました。悪口を言い合っていたのではなく、事実だから問題はないはずです。
 こっちでも見られている。変に大村君に覚えられてしまった気がしますけど、磯さんには感謝します。ひとりで失礼しますと声がけをして、生徒会室なんて場所に入れませんでした。
 佐原君は、大村君に振り返られてなにか話しながらプリントに書き込んでいた。黒板を眺める。女子がチョークでノートと見比べながら、ちょうど“今日の議題”を書いているところだった。クラス順の座席ですか。
「もう始まっている」
 大村君が不機嫌そうに磯村さんと私を見比べて来る。目が合っただけで怖いです。挨拶もできません。
「お手洗いに行って来た。うちのクラスが副生徒会長になれたの?」
 磯さんに大村君が頷いている。黒板を見ると多数決が取られた後があった。生徒会長の肥田さんが最前列から立ち上がり、教壇で紙を束ね始めた。磯さんの後ろの席の机にリュックを置いたら、佐原君が視線をあげた。
「遅れてごめんなさい」
「ううん。大村が収集をかけたのは男子だけだよ。うちが副委員でなくていいよね」
 頷きながら佐原君の隣の椅子を引いて座る。磯村さんのように自然に動けない。身体がギクシャクしている。
「生徒会長の肥田真一(しんいち)です。全員が揃ったので、第一回、生徒会役員の会合をはじめます」
 では、と隣に立っていた女子にプリントを渡して配らせ、黒板にカツカツとチョークで書き始めた。
 奥村先生が無言で入って来た。ドアの傍の机にノートパソコンを置いて全体を見渡した後、座っている。
 てっきり自己紹介から始まると思っていた。後ろから眺めていると、みんなこんな場に慣れているのが分かる。
 うちの学校は男女の学級委員イコール生徒会役員だ。三学年五クラスずつだから、ここに十五名がいる。
 高校で役員になっていなくても、中学校や小学校で似たような仕事を任されたことがある方たちばかりなのでしょう。周りを見渡して考える。どうしてだろう。私も頑張ろうと思っているのに。空回りをしてしまう。
 前から順番に回されて来たプリントを佐原君に隣から差し出される。目が合うと頷かれた。
 手を差し出して受け取る。心臓の音がうるさい。あんまり佐原君を見るな。秀美と公香以外にこの気持ちがばれてはならない。視線を落としてプリントを眺める。パソコンで打たれた細かい文字が頭に入って来ない。裏返すと係分担の表がある。この表の空欄を会合で決めて自分で記入して行くらしかった。生徒会長のペアはこれを今日のうちに作ったのですか。新入生への挨拶を体育館でした後、図書館に併設されているパソコンルームで作ったのですか。他に時間がなさそうですけど、私には読み切る自体がムリです。何枚あるのですか?
 佐原君の真似をして、ルーズリーフ用紙とシャーペンを出し、プリントの端をクリップで留めた。数えてみたら五枚もあった。どうしたらいいのか分からず、なにの発言もできないまま会合の話し合いも進んで行った。
 でも、後片付け係にはなれると思ったのでした。佐原君にうまく伝えよう。どう言えばいいのか分からないけど、帰りがけに挨拶をして、それだけはちゃんと伝えよう。できるだけ軽く、明るく。今度は、なにが? なんて言われまい。
「この中のどの係を請け負う?」
 佐原君に同じに背を丸められて囁かれた。隣の机の端に置いた肘と肘がぶつかる。今動かしたら、意識し過ぎている。そんなに近づかないでください。なにも考えられません。でも、今が言い時でしょう!
「わたし、どれもできると思えません。片付け係にはなれると思いました」
「ふうん」
 佐原君に呆れたように返されてしまった。でも、素直な気持ちです。この中から請負いたくありません。
「掃除係ね」
 シャーペンの頭をノックしながらプリントを佐原君は見ている。ちゃんと言えた。良かった。
「全体の担当は掃除の係を分かるとしても、実行委員長は別だから、この中のどれかはやらないと」
 真面目な顔を見返していた。なぜ、学級委員が実行委員長まで請負わねばならないのですか?
「今までクラスに実行委員が四人ずついましたか?」
「違うよ。各行事ごとクラスに実行委員長兼学級委員のペアと、実行委員のペアを合わせて四人いた」
「そうでしたか」
 間抜けな返しをしてしまいました。うちの学校の生徒なら知っていて当然ですか? 私の今までのクラスの学級委員たちは、なにを請け負っていましたか? 全く知りません。もう私を見ないでください。
「佐原君は去年の修学旅行の実行委員長でしたか?」
「そう。二年連続、田村と学級委員をやっていた」
 あっさり言わないで貰えますか。去年まではあの田村さんと一緒にやられていたのですか。二人が並んでいたら覚えていそうですのに、佐原君が京都のホテルや駐車場で旗を持って仕切っていた記憶しかありません。
 佐原君がどうする? と見続けて来る。無理矢理に言葉を吐き出した。
「同じような係をやれば……」
「うーん。すごく大変だった。しおり係は? 鵜飼さん、文字がきれいだから」
 え? 佐原君の目を至近距離で見返した。近いです。少し椅子を引いたら隣の佐原君の机も下がってしまった。 うわあ、机を隣とくっつけていたらどうなるのかも忘れていました。うちの学校は教室でも隣の席と机はくっつけませんのに。もう動くのをやめましょう。佐原君は固い表情のまま見つめて来ている。
 文字がキレイ? まだルーズリーフ用紙になにも書いていない。連絡先の交換も今度でいいとなりましたのに。
「だったら、五組は卒業遠足の係をして」
 大村君が振り返って言ってきた。
「なにがだったら?」
 佐原君が前を向いてくれてホッとした。でも、大村君にケンカを売るような発言をするのはやめてください。
「修学旅行の実行委員の仕事と似ている」
「大変だったと言っているよ。自分がそっちをやって」
「断わる。うちのクラスは文化祭の係をやる。しおりを作るのは卒業遠足だけだろ」
「そうだった?」
 頷かれている。大村君は喋る方なのですね。目が合ってしまった。磯さんのように黒板のノートを取りましょう。書道を習っているおかげで字を褒められましたし、片付けや掃除の係だけでなく、ノート係もできると思います。
 三年生は手を挙げてもいないのに、ここで話し合っていたことが黒板の表に書き込まれている。
 スマホを使っていましたか。ガラケーユーザーは、参加しなくていいのですか。そんなわけがありません。
 いつの間にか卒業遠足の実行委員にうちのクラスが決まっている。佐原君が大変だと言っていたのに!
「佐原君」
 思い切って声をかけると、スマホの画面から顔を上げてくれた。近くで見ても肌がきれいで端正な顔つき。アイドルになれます。ジャニーズ系というやつです。なんて考えている場合ではありません。私は発言が遅すぎる。
「スマホを持っていないのって、私だけでしょうか」
「そんなことないと思うよ」
「私もガラケーしか持っていない」
 磯さんが振り返って言ってくれた。
「お前らだけだろ。買えって!」
 大村君が隣の磯さんの椅子を蹴飛ばして叫んでいる。全体が振り返っている。やめてください。
「横暴。どっちかが持っていれば問題ない」
 佐原君に微笑まれる。ああ、外見だけでなく、性格も良かった。もっと適当にやり遂げている人だと思い込んでいました。
 学級委員は学期ごとのクラスの係や行事ごとの実行委員と違い、任期が一年間もあるのを再認識しました。
 すぐに無理でも、ずっとスマホを持っていなくていいと思えません。でも、我が家の父は地元の商店街のスーパーの店長なだけの立場のくせに、笑顔の裏の頭が固く、スマホやブランド品を持つのは成人式の後と決めていました。女の子はお金がかかるのだから、振袖やパールは二人共にお父さんが買ってあげるから、と。
 学級委員で必要なのだと真剣に話したら、そんな会合を開く生徒会がおかしい、授業中にスマホでノートを取って良くないのだから、逆に校則違反ではないのか、俺からひとこと言ってやると学校にクレームをつけかねません。学級委員になったと言っただけで、それは大変なことだと注意されそうです。黙っておかねば……。
 いえ、黙っていても解決はしません。先に母に相談をして、学級委員で必要だからと父が分かってくれたとしても、妹にも買ってあげると流れると思えません。私だけ持つのもどうなのですか。父は学級委員のためだけに使え、貸すなと言われそうで嫌です。モトコに恨まれます。またナーバスな受験生に八つ当たりされそうです。
 ――お姉ちゃんと同じ高校に入れなさそうでごめんね!
 ――なんだ、その言い草は。必要になってまで買ってやらないと言っていないだろ。
 ――遊びや息抜きは必要じゃないの?
 ――今は勉強をする時だ。俺は高卒でここまで来た、そのためにもいい高校に入れ。だいたいお前は勉強をちっともしていないだろ、外見ばっかり気にしているから……。
 今から揉める父と妹の会話が見えます。妹が勉強をしていないわけもありませんのにどうしたこうしたと。
 母が夕食の準備ができたと声をかけるまで続くのです。食べている間、二人にムスッとされたら私のせいのようです。
 ああ、あることないこと考える癖をやめましょう。でも、ラブレタープロジェクトはどうするのですか。家庭科クラブで作ったカップケーキはひとつずつ試食して、ひとり一個分余っていましたのに。私が貰って帰って来ました。
 ラッピンググッヅと誕生日カードを買って帰るのですか? なにもせず、朝を迎えるのは気が引けます。公香が名付けてもくれたのです。秀美と二人で張り切って応援してくれていましたのに、私が用意をしても行かず、朝にやっぱり嫌ですと言ったらひどすぎます。ラブレターなどうまく書けないと乗り切るしかありません。佐原君の誕生日が過ぎ去ってくれればいいのです。今から明日も気が重いです。
 どれもこれも困りました。

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