第十話 - 6 頁
うーん。大きく両手を広げて伸びをした。ちょうど校門からぞろぞろと入って来た生徒たちを眺めて姿勢を正す。特に見られていなかったようだ。
翌日の朝、学校の銀杏並木に一本だけ立っている桜の大樹の下で佐原君を待っていた。
もう桜の花びらは散り切って茶色い枝葉が目立っていた。もう少ししたら葉桜になるのだろう。
――かわいいでしょ。俺が好きになったサトコ。
この広場で私が友だちと話していた時、佐原君はシャッターを切った。そこから始まったと思うと泣けそうだ。
「おお、サトコ!」
「おはよう」
秀美が声をあげ、公香が手を振ってくれる。揃って校門から歩いて来た。腕時計を見る。二人とも登校をする時間が早いです。慌てて手を振り返した。二人は下駄箱の方に行かず、こっちに歩いて来てくれた。
「おはよう。私は佐原君を待っていて」
二人の眼を見比べながら自分から言った。
「仲直りが出来たなら良かったよ。ありがとうね」
公香に右手を取られ、ブンブンと揺さぶられる。隣で秀美が微笑んだ。私が仲直りをしてねと言ったのでした。
「耳を貸して」
秀美は私が反応をするよりも先に両手のひらをラッパの形にして片耳に当ててささやいた。
「愛している」
息と共に甘い声が響く。ぐんと体温が高くなった。唇を斜めに持ち上げて笑われる。
「秀美様のこの目は……」
「続けないでください。今度は私が怒るよ」
「こわかないよ」
「い、いつか言う」
「サトコが言えるのかい」
面白そうに笑って見下ろされる。
「そんなこというの? 恥ずかしいよ」
公香が言ってくれる。私が頷き返す。いつものやり取り。ずっと続いてくれればいいと願っている時間。
「二人ともお子様だな。ジュースを飲みに行くからな。サトコの分も買っておいてあげる」
「ツブツブ入りのみかんジュースでお願いします」
「オーケー。サトコも言うようになったな」
秀美に笑い返した。いつかきっと笑って言える。秀美が少し嫌いになったことがあるって。
お互い様だな。そんな風に言ってやっぱり笑ってくれる。公香がなになに? と困った顔をするのも見える。
佐原君が教えてくれた。おそろいを数える楽しさ。季節の変化を数えることが惜しくなっていく日々。
「おはよう」
向こうから走って来てくれることもないのに小走りに駆けてくる。
「おはよう」
軽く手をあげた。朝、この桜の木の下で待っている。桜はもう散ってしまったけど、私たちは続いている。
私とのこんなありきたりの時間を佐原君がいつか叶えられたらいいなんて思ってくれた。スペシャルすぎます。
「ごめん! 待った?」
まっすぐに佐原君は目の前に来てくれた。他の誰にも目もくれず、私が話すのを見下ろして待っていてくれる。
「全然。さっきまで友だちと話していたから。私たちもジュースを飲みに行こう」
「良かった」
笑った佐原君の顔に笑顔で返した。自分に驚きの変化なんてなかったし、佐原君がいくら褒めてくれても、私の外見が可愛いとも思えない。でも、少しずつ、たったの一歩ずつでも理想の自分に近づけるように進みます。
「俺はなにを飲もうかな。サトコはお子様だからな」
「あ、そうだ。佐原君がツブツブ入りのミカンジュースを好きだと知ってくれていたのはうれしかった」
前を歩いていた佐原君が振り返る。またなにか言いたげに立ち止まらないでください。
「どうしたの?」
「パックを拭いて渡してあげていたのも気が付かなかったでしょ」
うっ。なんかそんなことを思った記憶もあります。でも、私が好かれているとはちっとも思えませんでした。
「ごめん」
「これも知りたかったでしょ? いつまで佐原なの? かわいそうだよね、俺」
からかうように笑って歩き出している。知りたかったです。佐原君が私のためになにをしてくれていたか。
「俊行君。今度は泊まりに行きたいな」
小走りに追いかけ、佐原君の隣に並んで笑いかけた。顔が赤い。ううん、真っ赤だ。
「うっさい」
「呼び捨てにまで出来ませんでした」
「また敬語に戻る」
立ち止まると振り返られた。佐原君はいつものように微笑んで言った。
「学校内で無理をすることはないよ。細かいことも言いっこなし」
「でも、佐原君」
今思ったけど、遊具の地球儀のところでお家のことを話してくれたのも深い意味があった。
「また話し方が戻った」
どっちなのですか。新しい制服を着た子たちが旧校舎に入っていく。ここで立ち止まっていると目立ちます。自販機に着くまで時間がかかりすぎす。無駄な会話も愛おしいです。
目が合って笑い合った。考えていたこともおそろいだったらいい。全く同じでなくても似たことを考えていた。
「今度は地球儀のところで佐原君を待っているから」
「誕生日にして」
ふっと笑顔になった。アイドルさんの笑顔ではなく、佐原君の少し意地悪そうな微笑み。
並んでいた写真盾の家族写真。隣の公園の地球儀の前だった。ちいさい頃の佐原君を挟んでご両親とカメラ目線に笑っていた。佐原君は昨日、駆け落ちしたお母さんを憎むように語っていたけど、本棚に大事に飾っていた。その写真と一緒に私を撮影した写真も並べてくれていた。
「サトコ、ひとりで考えすぎ」
「ら、来年?」
でも、私にだってわかる。もう家族揃って撮れないあの写真を大事にする佐原君が桜の記念公園の待ち合わせに来てくれるわけがなかったのくらい。
「問題ある?」
「ないです。でも、またお家に行きたいと……」
こうやって目を見てきちんと伝えていくのも恥ずかしいです。変な意味はないのです。あってもいいけど……。
「うん。今度の時までには掃除をしておく。泊まりに来てもいいけど、プレゼントも親父もなしだよ」
やさしい微笑みだ。言ってよかった。お父さんともお話をしてみたいと思っていたのもばれていましたか。
「なにもいらない。今度はお菓子くらい作っていく」
「だから俺だってそのくらい考えているよ。無理をしないで。なにも、も大げさ!」
頭を小突かれた。手のひらで覆う。少しだけ痛くてジンと残る。やっぱりうれしい。
佐原君の視線を追って斜めに振り替えった。田村さんたちが笑い声を上げて登校をして来た。
そっと差し出された手のひらを見つめる。手を繋いだ。校門の方は見てもあげない。二人で並んで歩き出した。
今なら信じられる。つらいこと苦しいこと眠れない夜が続いても、また桜の咲く季節は訪れる。
「おーい」
「また上にいる」
渡り廊下から顔を出したお互いの友人に手を振られる。男女四人が私に笑いかける。夢に見た光景のようです。
「今行くよ」
佐原君が大きい声で返している。強く手を握りしめられ、握り返した。視線を交わして笑い合う。
今なら心の底から強く思える。こんな日々が続きますように。そう祈って毎日を生きて行ける。
エピローグ
望むものは平凡な日常。
曖昧のない平生(へいぜい)。
優しくいたいと思える自分。
そして、君といる明日。