曖昧ゾーン (19)

第六話 - 2 頁


 放課後は掃除当番だった。モップを持って公香と率先して廊下の担当を分かった。
「秀美は? 帰っちゃったの?」
 珍しい。いつもなら掃除当番にやる気がなくても、そこの柱にでも寄りかかって携帯電話を打っているのに。
「なんか具合が悪かったでしょう?」
「え。分からなかった」
「男子たちに聞かれたら、そういうことにしておいて。本当に生理痛かもしれない」
 公香は怒ったように言っている。生理痛って……。男子に言えません。先に帰る理由がわざとらしい具合の思い出し方です。秀美の調子がいつも通りでなく、暗かったのは分かっています。ほとんど喋っていませんでした。
「佐原君たちには差が分からないと思う。でも、違う性格に思われちゃったかもしれない」
「あー。普段の秀美を知らないのだった。大人しい人と伝達をされると違うね!」
「永岡君が親友さんでない方が気にしていました」
「私もそう思った。布団屋の息子、永岡君は二人の親友だってサトコが情報を貰って来たわけじゃないのに睨んでいた」
 舌打ちするようにして言い放ち、床をモップでごしごしと磨いている。睨んでいたのを気が付きませんでした。その間違いと布団屋の跡取りなのは関係がないと言いたい。
「朝から話していなかったよね……」
 自分に対する嫌がらせ行為に気を取られ過ぎていました。くだらないと片付けていれば飽きるものなのです。
「だな! 私が寝坊しちゃったからさ、今日は一緒に来ていないの。秀美は廊下で他のクラスの子と話していたから一緒になったの。朝は生理痛だったかもしれないけど、お昼はひどかった。会話に参加をしていなかったし、永岡君の話題の時にはなにか言うべき。秀美が頼んだのに! サトコはラブレタープロジェクトのためにも頑張っていたのに。けしかけた方にも責任はあると思う。うまく行ったからってそれで終わりじゃないよ」
 私のために怒ってくれていたようなものでしたか。教室の引き戸が音を立てて聞き覚えのある声がした。
 やっぱり……。佐原君がケンゴ君やサッカー部の男子たちと話して帰って行く。ちいさく手を振ってくれた。
 今までは目すら合わないのが日常だった。手を振り返せない間に階段を降りて行ってしまった。自分が自分でひどい気がする。
 公香の丸い目と合った。モップに顎を乗せてじっと見られた後、にっと微笑まれる。
「今さ、私と話していたから気を使ってくれたよね。佐原君を見直した」
 やわらかい笑顔に泣きたくなった。公香は自分のことのように喜んで心配もしてくれている。
「ありがとう」
「私の恋もいつか応援して貰う。秀美は嫌になったって言いにくいのかもしれない。応援は一旦おこう」
 頷いた。秀美は一途なのでずっと片思いのままだとつらくなりそうです。
 私はのめり込まないと決めていました。さっき手を振ってくれた時、やっぱり佐原君の笑顔は少し寂しそうに見えました。公香と話していたから声をかけなかったのでしょうけど、今まで廊下で見て来た佐原君なら女子たちに軽く話しかけて、声をあげて一緒になって笑っていました。私たちとはタイプが違うのですけど……。
 ――あまり学食に来ないよね。どうして?
 それも気が付いてくれていた。私が佐原君に色々と考えさせてしまっているの?

 掃除が終わり、公香と下駄箱に向かっていたら佐原君が職員室の方から歩いて来たのが見えた。
「明日、生徒会。放課後に生徒会室」
 話しながらこっちに来てプリントを手渡される。またびっしりと文字が埋まっている。
「うわー、大変。これ明日までに読むの?」
 公香が隣から覗き込んで嫌そうに言っている。公香が男子とこんな風に気楽に話しているのも見たことがない。
「会合の三時までには読んでおかないと。前は常に表だった。肥田生徒会長は文章を書くのが好きらしい」
「分かった。ありがとう」
 プリントを佐原君はフォルダーに折って入れている。さっき職員室から出て来た時に入れようとしていて、あ、とこっちを見てくれた。
「大村が屋上からなにか言いたそうだったでしょう?」
 首を振る。いいえ。そう見えませんでした。公香も同じに思って見返しているのは分かります。私がプリントを鞄にしまっていると佐原君は先に廊下を歩き出している。公香が見比べて来てどうするか悩んでいる。秀美がいたら二人で先に帰ると言いそうな場面です。
「バス停まで」
 コクコクと頷かれる。公香の方が秀美より分かり合えると思ってしまう。比べる必要なんかないのに。
 二人に自分が同じように古い付き合いの者同士の方が分かり合えると考えられていたら、仕方がないことでも嫌な気持ちがする。そう比べられたところで私が以前の二人と出会えしないからだ。
 私は公香や秀美と今まで通りにしていたい。秀美だったら誰かに彼氏ができたら同じ関係を続けるのは無理だから、変えて行くべきだと強く言うでしょう。うまくそこも伝えておかないと、後で勘違いされてしまう。
「大村の奴は女子に嫌われているのか。知らなかった。怖がられても好かれているのだと思っていた」
 佐原君は下駄箱で靴に履き替えながら私の隣でブツブツと言っている。ホワイ? 不良の大村君はもてている理解だったのですか。
「さ、佐原君より人気がある人はそうそういないから」
 安心していい? 喜んでいいと思う? 気にして比べる必要はないと思う? どう続ければいいのでしょう。
「えー。ケンゴにもそんなことを言われた」
「で、でもだから親友代表さんに」
「俺を通して何か言えばいいって? 偉そうな。大村みたいに強くもないくせに。仲間と騒ぎたいだけでしょ」
 アハハと笑っている。ホッとする。大村君の方が永岡君より親友さんにいれてもおかしくなかったのですか。
「こっちは日当たりがいいからソメイヨシノも散り切ったね」
 佐原君に頷く。沈黙が落ちる。本校舎から校門への広場にはピンクの桜が一本しかない。染井吉野だとは知りませんでした。私を真ん中にしないで欲しい。面白い話題がありませんし、落ち着きません。
「山本ケンゴ君? 名前も知らなかったし、商店街の布団屋の息子さんとも知らなかった」
 歩きながら公香が言っている。うつむいてリュックの紐を両手で握り締めている。気にしているようですけど、仕方がないのではありませんか? 今まで公香が男子と話していたことは少なかったですし、商店街の方に買いものに行かないと言っていたのも公香でなかったですか?
「私もお布団屋さんで買わないから」
 斜めに見上げられて公香に微笑まれる。この返しであっていましたか。
「俺たちは商店街の店で買い物を済ませることが多いよ。付き合いもあるから」
 そうなのでしょうね。こんな会話をカップルがするのでしょうか? でも、公香は佐原君になにか言いたいのです。
「サトコにも言ったのだけど、俺たちと永岡って話している方でも距離があるから。大村は花屋だから近い」
「知っている。書店からもうちの学校に教材を入れているのでしょう?」
「商店街が提携をしていれているからね」
「永岡君は実業家の息子さんなのでしょう? その筋では有名なような?」
 佐原君が顔をあげて何度か頷いている。私を通りこして公香を見返している横顔が真顔だ。永岡君は……。商店街の取引関係を握る重要な会社の跡取りなのですね。あまり関わらないほうがいい家柄なのは分かりました。
 バス停に着くと、手を振って公香は帰って行った。佐原君も同じ方面に帰るのに。
「あと三分くらいで来る」
 腕時計を眺めている。Gショック。黒くて渋くてお洒落です。私の水色のベルトと丸い盤が取り柄なだけのイチキュッパの腕時計とは大違いです。バスの時刻表を見させてまでしまいました。
「私、公香のお家に行ったことがないのだけど、商店街まで同じだったよね」
「ううん。すぐそこで曲がったよ」
 確かに曲がりました。佐原君は直進をして帰って行った気がします。覚える気がなくてごめんなさい。
「マンション群に住んでいると秀美も言っていた」
「うん。同じマンション群でもないでしょう。あっちは新興住宅街でも規模が大きくてまだ新しいよ」
 へえ。知りませんでした。二人は同じマンションの建物に住んでいなくても、一部が繋がっていて共有スペースで会える距離に住んでいると思っていました。お母さん同士も話すから出入りをしているという会話でしたか。
「佐原君はマンション群の方に行く?」
「ううん。永岡の家には行ったことがあるけど、昔の話だ。大田さんや大場さんは逆方向でしょう」
 頷いていた。佐原君と話していると楽なのはなぜだろう。校門から出て来る女子たちの視線に集中ができない。
 バス停が学校の校門の斜め前にすぐあるせいだ。バスは一緒に待ってくれなくてもいいです。色々と怖いです。
「向こうのマンション群の人たちは買い物ついでに商店街を通って帰ることも多いけど、遠回り」
 続けて話しかけてくれる。私が道のりを聞きましたのに。私たちもお互いの家を行き来したことがないから。
「二人と中学校から一緒だよね。同じクラスになったことがある?」
「大場さんとは中学校一年生で同じだった。ケンゴはその後の学年で同じだったはず。お昼はわざと間違えた。二、三年の時はクラス替えがなくて、二年間も同じクラスだったのに苗字も覚えてくれなかったから!」
 続けて笑っている。あ、公香はだから山本君のことを気にしていましたか。視線があがって目が合う。
「どうかしたの?」
 いつも佐原君にそう聞かせている。きっと実際に質問をさせるより何度も思わせている。
「秀美と公香はずっと同じクラスだと思っていたから」
 でも、ずっと同じクラスで同じマンションだったら、公香と繋がらない別の友だちが秀美にだけいるのも変なのでした。公香は私に気を使ってくれていると思っていました。それもあったのでしょうけども、違いました。
「違うよ。中学校の二、三年生の時に一緒だった。三人ですごく仲がいいよね」
 何か言いたげに見て来る。笑顔はない。真面目な話? とでも聞きたそうだ。佐原君は表情に出る人だ。
「疑問はなくなった」
「うん。なんとなく聞きにくいのは分かる。俺の近所も一軒家だらけだからマンションに詳しくないしね」
 その返しがやさしい。それを聞きたかったわけでもないのです。あ、そう言えば、ポケットに入れて来ました。
「キーホルダー。遅くなった。よかったら使ってね」
 透明の袋に入れたまま差し出した。反応がない。じっと見返されている。忘れちゃったの?
「あの、この前、私が壊して、適当な代わりを持って来るって言っていたから」
「うん。ありがと。色々とあるだろうけど、もう少し頼りにしてよ」
 不満そうに受け取られてしまった。充分に頼りはしています。妹の勉強まで見て貰ってしまいました。
 でも、今の会話は友だちとの関係で悩んでいるようでした。この前から人数や怪しい質問を続行中でした。
「ついた」
 斜め掛けの鞄のポケットから鍵を出して銀色のわっかにつけて差し出された。銀色の“S”の文字が揺れている。微笑んでいる佐原君を見つめる。日曜日の帰りに佐原君が帰ってしまう前に絶対に渡そうと思っていたのに、キスをされたら飛んでしまった。今もどう返していいのか分かりません。そう思っているままを言えばいいとも思えません。
「買ってくれた?」
「そ、それ実はおそろいで……」
「サトコも鍵にこれをつけているの?」
 屈まれて囁くような声で聞かれる。顔に息がかり、じっと見て来る目を見返しながら頷いた。佐原君の“S”、サトコの“S”、この至近距離だけでも恥ずかしいので言わなくていいですか。
「アルファベットのエスがおそろい?」
 更に目を覗き込まれて聞かれる。
「お、おそろい」
 言わせたいのは分かりました。うれしそうに笑い返される。
「だったら教えてあげる。サトコは落としちゃっただけで壊していなかったよ」
 面白そうな顔になって笑っている。え? リングに鍵をつけていただけなのですか。
「良かった。俺が迷惑かと思った」
 ほっとした笑顔に首を振る。バスが来たほうを見ている。そんなことはないよ。佐原君の気持ち、ちゃんと伝わっていた。
「ぜんぜん迷惑じゃないよ。と、友だちとどうしたらいいか分からなくなった。秀美は先に帰っちゃって、公香は怒っていたから。でも今まで通りがいいと思ったから、ちゃんと話す。私だって佐原君に会っていたいよ」
 慌てて続けた言葉が佐原君に本音として届くように必死に言った。
「うん。ありがと」
 背中を手のひらで押されて階段をあがる。目の端でとらえた大人の表情にドキリとした。毎日のように会っていても、会いたいと思うのはおかしいですか? でも、佐原君とまだ一緒にいたいというより、もっと会いっていたい。今の続きではなくて、何度もこんな風にして会っていたい。細かいことを気にするのは悪い癖です。
「また……」
 カードで精算して振り返る。佐原君がそれを待っていてくれる。この瞬間を切り取ってずっと残しておきたい。
「また明日!」
 大きく言った。笑顔を返される。手を振り合いながらドアが音を立てて閉まる。周りの視線も気にせず、はじめて笑い返せた。
 空いていた席に座り、リュックをおろしてポケットから“S”のキーホルダーを出した。お揃いの……。鍵だ。
 佐原君だったら、こんなに遅くなっちゃっても家の鍵につけてくれるって思った。苗字と名前の頭文字(かしらもじ)でお揃いと言えるのか不明でも二人に共通の“S”を握り締める。自分が自分でバカバカしくって、ひとりになっても笑えた。

ページのトップへ戻る