雲の下のポスト (1)

花火

前編
後編

前編


 窓から太陽の光が差し込んで来る。目覚まし時計を止めて時刻が過ぎ去るのを見ていた。


「なんというかさあ、私ならばメールに書く。読まれずに終わったことだったと、あとになってなにかで分かっても、メールの方が平気だと思う」
 昨日、大学の帰りに小型の文房具屋の中を一緒に歩きながら香が言っていた。
「そうかなあ……。メールだと、さっき届いた? もう読んでくれた? 香が言ったみたいに読んでないかもしれないけれど、なにかのエラーで文字が読めないってことはない? 心配」
 ひとがわりといる。今日ってなんの日だった? 単なる木曜日のはずだ。
「ふうん。まめだね」
「まめ? はじめて言われた」
 香とちょっと笑い合い、棚から棚へ目を細めて小さい柄を眺めながら、平気だと思った。
 買い物の理由を話さなくても、なんとなく察して付き合ってくれる友達がいる。彼との関係が壊れても、この友情は続いていくと信じられるし、私は笑っている。


 そうだ。一日眠れなくたってどうってことない。手に持っていた目覚まし時計を枕元に置いた。ベッドからいきおいよく起き上がってクローゼットを開けた。ぶら下がっているワンピースをかき分け、引き出しの中からゴムのパンツに長袖のトレーナーを引っ張り出し、楽ちんな普段着に着替えた。
 勉強机に視線をやったら、裏にシールを張ったばかりの封筒を見つめていてしまった。首を振って鏡に向かってブラッシングを始める。


「これがいい。これにしておく」
 文房具屋の棚にいくつも並んでいた封筒と便箋がセットになっている商品の中から、ぱっと目についた袋を手に取った。
 書くものもいる。立てて並べられていたボールペンを一本、深いことを考えず手に取った。
「買い物終了。ありがと」
「私は、なにを言ったらいいのか分からない。どうして陽子の方がふられるの? ものすごく好きだったでしょう?」
 泣きそうな顔の香を見下ろして笑顔をむけた。私が彼にふられるわけじゃない。ふる側になるのだ。
 いつか彼に振られただろうけれども、私が行動を起こさない限り、それは、いつか、だった。
 私が便箋のセットをレジに持っていっていかなかったら、ずっとふられずに済むことだったのかもしれない。
 でも、私自身が疲れてしまった。
 彼は変わらない二人の関係を望んでいる。彼から嫌なことを言われたり、されたりすることもなく、毎週会っている。お互いに予定が合う日曜日のお昼ごろに、彼が所有するマンションの一室でゆっくりする。彼が自宅の最寄り駅まで歩いて十分程度の道のりでも送り迎えに来てくれるから、その間のコンビニや酒屋で食材の買い出しをすることが多い。穏やかなデートの繰り返しだ。今までと違いが出来たわけではない。私が大学を卒業後、同じように続けていくことは可能だ。
 何も変わらないから。時間だけが過ぎ去って行くようで疲れるから。いつかを私の方が決めてしまった。
 私のバイト先のケーキ屋に仕事帰りに気まぐれに寄っただけの彼に、少し雑談したはじめの時から惹かれたのは、私の方だったのに。
 彼と付き合っている間に堪えたのは、彼のマンションから私の家の最寄り駅までの帰りの電車の中だ。一時間はかかるし、乗り換えもあるし、座れるほど空いている時間帯ではなかった。無理してお洒落してヒールの高いパンプスを履いて行ったのに、立っているとまめができた。年上の社会人の彼にそんなことを愚痴ると、子供扱いされそうで言えなかった。
 でも、私は、日曜日の昼時、都内に出るため、家族やカップルが揃ってどこかに遊びに行く話をして盛り上がっている電車の奥に潜り込み、なんとかつり革の手すりを確保し、立ち続けて彼元に行かねばならないこと自体に疲れたのではない。
 彼に会った帰り道。混雑で揺れる電車の中、ひとりで色々と考えてしまう時間が一番苦痛だった。
 この先こうしようという会話が私たちにはなにもない。
 電車内の混雑で窓の外も見られず、あまりに暇だったから、付き合い出して二年も経つのに、将来に関するなんらかの会話をしたことがない、ふざけたことばのかけらも思い出せない、私が何か言うことはあっても、彼からひとこと言って貰っていない、ということに気が付いてしまった。
 そんな大事な会話をふざけてする人でなくても、なにもない、と。
 私たちには変化をする予定がないからだ、とまで考えてしまった。ショックだった。
 うちの最寄り駅から彼のマンションがある駅までは、電車一本で行けても、往復二時間かかる。彼の最寄り駅が各駅停車しか停まらないし、うちが駅から近いわけでもないから、実際は往復で三時間かけている。途中の駅で降り、反対側の線路に来る急行電車に乗り換える気にならない。行きなら彼の部屋に早く着くために明るい会話がこだまする急行に乗る気になっても、帰りは混んでいるだけの急行のドア付近に無をして乗り込む気にならない。
 遅く走り続けるいつもの各駅停車に揺られてぼんやりと考えていたら、いつまでも先へ進まず、同じところに立ち尽くしている私と彼との関係が嫌になり、自分の方から彼の手を離すと決めていた。
 いつも通りの会話を遮り、彼の顔を見てちゃんと言える自信がないから、彼に会わず、手紙を書いて別れよう。
 ポストに投函するのは、土日でなくて金曜日。早めの時間に出す。そうすれば土曜日のうちには彼のマンションのポストに着く。次の日曜日に会う約束は自動的になくなる。封を開けて読んではくれるだろうから……。
「切手がいるって親切だよね。当たり前と言われそうでも、私はメールの日々で切手の存在を忘れていた」
 レジの前に立ち、“切手あります”という張り紙の文字を見上げて香が感心したように言っていた。でも、私は郵便料金も覚えている。彼に別れを告げる手紙を書こうと思ったのはこれがはじめてでもないからだ。

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