曖昧ゾーン (9)

第三話 - 3 頁


 家に帰ったら六時を過ぎていた。放課後に秀美や公香と別れ、ひとりで公園に入り、中央広場まで覗いて来た。
 お花見をしている人たちはいたけど、佐原君はどう見てもいなかった。待たずに帰って来てしまった。
 学校の隣の公園は“桜の記念公園”と名前がついているように、市に文化財指定された桜の名所だ。昔、地元の人たちが復興のためにたくさん植えたそうだ。うちの学校の裏庭にもその名残の桜が一本ある。徒歩圏の生徒も多くいるからその桜を見に来る。同じ場所に立ち続けていたら目立つし、佐原君が来るわけがない。
 お誕生日だ。今頃、きっとお家で祝っている。
 玄関の扉が重かった。玄関マットの上に座り、ローファーを揃えてため息をつく。母にこんなところを見られたらちんたらしないで手洗いうがいをしてきなさいと一括する。廊下を歩く。カレーの香りが漂って来るリビングの扉はもっと重かった。くもりガラスの扉を通り過ぎた。洗面室がリビングより奥の間取りは使いつらいです。
 やっぱりラブレタープロジェクトなんて強く断われば良かったです……。
 面白がらないで下さい、佐原君はそういう風に好きではない、秀美の目の間違いです、はっきり言いなさい。
 ムリ。どういう展開になるのか見えません。そういう風、どういう風? ですから曖昧のままでいいのです。
 誰も理解をしてくれるわけがない。してくれなくていい。だからってラブレターを出すのは違います。手作りのお菓子だけでなく、あんなカードまでつけて下駄箱にいれたら、単にお誕生日を祝っただけだと言えません。
 立派な告白です。分かっています。誰に言い訳をしていますか? 佐原君ですか。考えたくもありません。なんて弱気なのでしょう!
 洗面所で手洗いうがいも終わってしまった。食パンに卵料理にスープと決まっている朝食時、「お父さんはスーパーの店長だからお花見の期間はずっと夜勤だ」と言っていたのを覚えている。今日は父がいて、仕事の話をしてくれていた方がいいです。こんな気分で母や妹と三人だけで食べたくないです。なにもなかったような顔というやつを保つのは想像以上に難しいのです。
「ただいま」
 この扉は両手であけるほどに重かったです。
「おかえり。いつもより遅かったのね。サトコは名門校で課題が多くあるのだから仕方がないわね。もうご飯ができるわよ」
 リビングに入った途端に母に言われる。父より口うるさくはないけど、学歴重視の人だ。
「今日はカレーライスにしたの。もうできるわよ」
「うん。お茶を飲んだら、着替えて来る」
 対面式キッチンで料理をしている母に返した。冷蔵庫から冷えているペットボトルを出してグラスに注ぐ。
 冷たいお茶を飲むと、少し落ち着いた。結局、連絡先を書いたメモ用紙すら佐原君に渡す機会がなかった。
 ちゃんと書いてリュックのポケットに入れておきましたのに。佐原君の席まで遠いし、歩いて行く用事がないし、いつも友だちと話していてひとりで廊下に立っていることもないから……。
 今日は学級委員の仕事はなかったですよね? 放課後、秀美と公香と公園の門前で話していた時、大村君はまたベンチで寝ていましたから、特になにもなかったはずです。でも、なにかの時のために必要な連絡先ですのに。グダグダと考えず、周りの視線も気にせず、渡してしまえるようになりたいです。ムリ! 私の“今度”ってどのくらい? と自分で言いたくなります。
「お姉ちゃんの学校の近くの公園でしょう?」
 ソファーから妹が振り返る。テレビで人気の女性アナウンサーが桜の木の前に立ってなにか話している。ちょうど夜のニュースの時間だった。
「あら。桜の記念公園?」
「もうすぐで満開だって言っている」
「今年は寒かったから、遅いわね」
「屋台まで出ているって知らなかった」
「良いわねえ。学校帰りに友だちと眺められたら楽しいでしょうね」
 母と妹が羨ましそうに話している。脱ぎかけていたカーディガンをピタリと止めた。
「今日って何曜日?」
「水曜日」
 どうかしたの? と妹に見上げられる。首を振る。曜日は関係がない。佐原君が待っているわけがない。
 でも……。待っていたら?
 佐原君が学校から何時に帰ったかまで知らないけど、五時には下校を促す放送が流れたから私たちは帰って来た。その後に学校を出て待っていたら、一時間以上も経っている。そんなに長く待っているわけがないよね?
「食べましょう」
 お母さんがダイニングテーブルに食器を並べ終わった。妹がだるそうにテレビを消して立ち上がっている。
 佐原君はたくさんプレゼントを貰っていた。誕生日カードを読んでくれるなら……。自宅に帰った後のはずだ。
「わ、私、学校に課題の忘れ物をしたから、とって来る」
 床に置いたリュックを拾って背負った。
「今から?」
 お母さんの声に振り向かなかった。玄関に脱いで揃えておいたローファーでなく、ナイキのスニーカーを下駄箱から出して履いた。母が顔を廊下に出て来そうだ。その前に玄関のドアをバタンと閉め、暗い道を走り出した。
 待っているわけがない。でも……。さっき通ったばかりの駅までの道を走り続ける。やっぱり確かめたい。

 家から駅、乗り換えのバス。走り続けた。あの佐原君が待ってなんかいない。待っていたって困る。名前も書かずにプレゼントを下駄箱に置いて来たのに、カードに書いた指定場所に行ったら、自分からですと言っている。
 佐原君と会ったらどう言うの? 告白なんかできない。でも、でも……。だから……。
「桜はもうすぐで満開ですね!」
 男性のアナウンサーがカメラに向かって叫んでいる。名前は忘れたけど、顔は知っている。お台場のテレビ局のはずだ。この公園って、そんなにすごかったのですか。
 桜記念公園の中央広場では芝生が丸く植わっている。そこを避けて屋台が桜の大樹をぐるりと囲んでいた。
 妹は私が教えてくれなかったと不満そうに見て来たけど、私だって夜にここまで賑やかになると知らなかった。
 息を切らせながら、ぐるりと見回しても、佐原君どころか見知った顔はいなかった。屋台を眺めるように丸く回った。レジャーシートを敷いている人たちは、年長者たちや仕事仲間のようだ。みんなお酒を飲んでいる。
 佐原君はいなかった。
 どうしようもなくもてて彼女ばっかり作っている佐原君がここで誰かを待っているわけがない。バカですか。
 ああ、良かった。ため息をつく。目についた屋台でオレンジジュースを買った。カップにストローを指して一気に飲んだ。ミカンのツブツブが入ったジュースは、学校の紙パック製品以外で見たことがない。隣の屋台で四人組の男女が回しながら見ていたキーホルダーを後ろから覗き込む。ここの公園の記念のコイン付きですか。
 適当な感じかなあ? でも、この公園に来たと言っています。フックにずらりとキーホルダーは下がっている。
 この中から買おう。回しながら考える。新しいものを佐原君が買ったら、すぐ変えてくれていいのです。そう言って、連絡先のメモ用紙と一緒に渡そう。いつ、どうやって? 分かりません。それすら下駄箱に入れておきたい。
 なんて社交性がないのでしょう。でも、変われない。頑張ってもできないことはある。絶対に事務の仕事を希望しよう。私に窓口を任せないでください。ムリだと諦めて担任のように肩を叩いてやってみろともしないでください。セクハラだと言いたくなります。
 あ……。目についたキーホルダーを手に取る。これにしよう。二つ買ってもいいですか? そう思っただけでドキドキとした。リュックを降ろして、千円札を出して買った。
 わああ、なにか騒いでいる。公園の奥の遊具で遊んでいる男子たちだ。同じ学年だと気が付いた。
 丸いジャングルジムをぐるぐると回して、片手足を離してアクロバティックなことをしている。
 危ないです。佐原君が仲のいい人たちじゃない。私はすぐに分かる。だからこそ、佐原君と普通に話せる関係のままでいい。困らせたくないし、困りたくもない。学級委員のペアなのに、やり難くなるだけだ。
「せーの!」
 さっきの男子たちが声を掛け合い、丸い遊具から飛び降りている。
 高いですよ。怖いです。彼らの方が不良なのでは? こっちに来る。制服だから目立つ。気がつかれたくない。
 ああ、私のことなど知らないままでいてください。余計なことをしないとお昼に思ったばかりですのに。充分にしています。私のこんな気持ちも知られたくもありませんのに。確認をせずにはいられませんでした。
 ゴミ箱を探し、ジュースの紙コップとストローを分別して捨てて、公園を駆け足で後にした。
 誰にも見つかりたくない。佐原君への思いはうまく言えない。大事にとっておきたいの。ポケットの中にしまって、たまに取り出して眺めて、微笑めればいいの。一歩も飛び出せなくていい。今日のような日が続けばいい。
 好き、嫌い、愛している。ごめんね、どれも怖い。

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