曖昧ゾーン (10)

第四話 走って走りまくる


 ラブレタープロジェクトの後は毎日がいつも通りに過ぎ去った。土曜日だ。お花見の会の格好はどうすればいいでしょうか。
 クローゼットの引き戸を開ける。ズボンの方がいいよね? スカートが多いから二択しか持ってない。
 ベージュのサロペットに首が大きめに水色の長袖のシャツ。ハンガーごと取り出した。前に着たままのコーディネートでつるしてあった。クローゼットの扉の後ろについている鏡の前で胸にあてる。
 これ変じゃないかな? ジーンズのズボンはこの前に洗ってまだ乾いていないのでしたか?
 今日こそは佐原君にキーホルダーと連絡先のメモ用紙を渡しませんと。ちゃんと渡しやすいようにチャック付きの透明の袋に入れておきました。
 リュックの前に着いたポケットを開けて中身を確認する。定期券入れ、ハンカチとティッシュ、九十九円屋で買って来た四月始まりの薄いスケジュール帳、携帯電話。取り出しやすいように手前に入れ直す。
 持ち物って他になにがいるのですか? あ、ボールペンも入れておきましょう。
 勉強机の鉛筆縦からノック式のボールペンを取り、メモ用紙に試し書きする。
 お花見の会の担当は二年生の学級委員が請負っていた。その手伝いも同学年だ。陣取りや準備まで三年生がする必要はない。背が高い者同士のペアは何組の方たちでしたか?
 この前のプリントの役割分担表に書き込んだはずだ。プリントをまとめたフォルダーをリュックの中から探して取り出した。二組だった。今日に必要なことだけは覚えておこう。
 レジャーシートは念のために入れておきました。キティちゃんの柄が気に入りませんけど、他にありません。
 水筒の方が必要な気がします。生徒会の交流のための行事だ。お茶を飲んでダメだとまで言われないでしょうから持って行こう。お菓子も持って行くのでしょうか? 女子の皆さんは持って来そうです。私だけなにも持って来なかったのですか? という流れは避けたい。だからって一人ではりきったように見られるのも嫌です。
 飴くらい持って行きましょうか。持ち物検査があると思えないので、リュックの底の方に入れておけば……。
 お菓子を誰かから何か貰って、お礼に渡す一粒までのアクションがどう考えても長いです!
 ああ、秀美や公香に相談をしたいです。でも、これは私が自分だけで考えて判断をしなければなりません。
 不安だらけだ。自分がお役に立てるとまで思えなくても、学級委員の仕事だけはちゃんとしたい。
 部屋のカーテンを勢いよく開ける。良い天気だ。遮光(しゃこう)用の水色でも、開ける前から光が指しているのが分かったほどだ。
 桜の見頃は今日までだ。この前の公園で本物を見た男性アナウンサーがテレビで言っていた。少しは楽しもう。
 急いで準備をし終わった。髪の毛を結ぶために更衣室に入ると、妹がブラッシングをして使っていた。
 ボブカットの髪の毛先をアイロンで巻いている。彼氏ができたから余念がない。
「この格好、変じゃない?」
 目が合ったから、両手を広げて聞いてみた。モトコは振り向きもせずにアイロンを当てたまま止まっている。
「普通に良いと思うよ。お姉ちゃんってどうでもいいことでいつも悩んでいるよね」
 鏡越しに妹を睨みつけた。なにも知らないからって、少しのためらいもなく人の傷口に触れることを言わないでください。
「朝食の席で両親に彼氏のこと言っちゃうから」
「やめてよぉ。食べないで出かけて行きたいのは同じでしょう?」
 私は遊びではなく、生徒会の集まりの日だと言いたい。でも、昨日はどこに行ったの? と更に聞かれたくもないから言わない。
「食べないとお母さんが怒るよ」
「私は九時に家を出たいの。二人でお花見に行くことにしよう? 今度、お姉ちゃんには彼氏を会わせるから」
「今度って」
「いつとまで言えるわけがないでしょう。グロスとネイルをして行けば今時だよ」
 満面の笑みで振り返り、手のひらに小さい瓶を握らされる。なにか言い返す前に出ていかれてしまった。
 今度って、妹の彼氏と会いたいわけでもないと続くはずでしたのに。
 うちは二階には四部屋あり、階段脇がベランダに続く納戸同然の部屋、その前に子供部屋が並んでいる。両親の部屋は奥だ。隣の部屋の音が聞こえすぎるのです。出かけたい時間もばれていました。
 手のひらにおかれたピンクのネイルを眺める。小さい瓶の蓋には、桜の花の模様が銀色で描かれていた。春の限定色ですか。高いのですね……。鏡の中の自分を眺める。あまり自分の顔は好きじゃない。妹とよく似ているとなにかの度に言われるのに、私があか抜けない感じなのは洋服やメイクの違いのせいだと思えない。
 ああ、やめよう。時間がない。自分のブラシを鏡の後ろの棚から出し、髪をとかしながら恰好を確認した。
 メイクをして来る女子もいそうだけど、生徒会の集まりだからネイルやグロスもしない方がいい。日焼け止めクリームだけ塗って行こう。
 おかしいところはないよね? 妹の言っていた通り、普通に良いのがいいのです。
 ハンガーにつるしてあったままのスタイルに白のソックスを履いて、学校指定のローファーと合わせる。水色のパーカーを羽織って同色のリュックを背負っていく予定だ。
 可もなく不可もなくならその方がいい。良くも悪くもない。常にどっちでもない。今の私に重要なことだ。

 この前も待ち合せた……。もとい、この前、桜の大樹を囲んで屋台が並んでいた桜の記念公園の中央広場に着いた時には、生徒会の集まりだと分かる生徒たちが揃っていた。
 また腕時計を見る。あー、朝食は簡易に済ませ、早くうちを出てきたつもりでしたのに。土曜日は電車の時間が違うことを計算に入れていなかったから、十分くらい遅れてしまった。
 輪の後ろに加わった。背伸びしてみる。佐原君は見当たらない。この公園の中のことはアナウンサーの語りで覚えた。生徒会長がスマホ画面を見ながら話している後ろの桜の木は、一番古くて大きい。なにも聞こえません。またラインで話し合っているのですか?
「ハイ、動いて下さい!」
 肥田さんの声がそれだけ聞こえ、全体が動き出した。お花見をしている人たちは周囲に多くいる。たくさんの家族連れや大学生たちがレジャーシートを芝生スペースに敷いて楽しそうに笑い合っている。そっちの方に全体で向かうのかと思えばそうでもなく、ばらばらと違う方向に分かれてしまっている。数人が取り残される形になった。
 どうしたらいいのか分かりません。皆さんお洒落でないですか?
「鵜飼さん」
「ちょっといいですか」
 知らない女の子たちに話しかけられた。役割分担の表の名前をできるだけ頭に入れて来ても、顔まで無理です。
「どうしましたか?」
 制服だったら校章の金色の模様の下の色が違うから、何年生かだけは分かる。今日はそれもない。彼女たちは笑顔で聞いて来た。
「どうやったら佐原君と仲良くなれますか?」
 二人はじっと私を見上げて来る。瞳がキラキラしている。私の名前を覚えてくれた理由と用事はそれでしたか。
「私もそんなに仲がいい方ではないですから……」
 くじ引きで学級委員のペアに当たっちゃったから、お話ができているだけです。連絡先も渡せていない。学級委員の仕事をちゃんとするには、最低限の自分の任務を熟していきませんと。私が話しかけ難い人に違いないのだから。
「そうですかぁ?」
「会合の時なんかかなり仲良さそうに見えましたよ」
 声を揃えて言われる。似たような顔立ち。同じ学年でないのは分かっています。敬語を使われ続けているので、二年生でしょうか。佐原君を前から見ている言い方だ。私相手でもそう聞けるのはすごい。逆は絶対にムリです。
「佐原君はみんなにあんな感じだと思います。いつも笑顔というか」
「あ、そうですよね」
「一番先輩たちの中で話しやすいです」
 似たようなカゴバックを持った花柄のワンピースの子がもう一人増えた。「ねーっ!」と言い合っている。
「私にはなにを聞きたいのでしょう」
 佐原君が話しかけやすい男子なのは同感です。でも、よく分かりません。佐原君はみんなにやさしいでしょう。同じ生徒会役員なのだから、今みたいになにか質問をしたら丁寧に答えてくれる。それ以上を望むのですか。
「でも、どうやったら、佐原君の方から話しかけて貰えるのかな? と思って」
「なかなか覚えて貰えないです」
 あなたたちよく似ています。同姓の私でも見分けられそうもないです。そう言えるわけがありません。
「そうだよね。生徒会の人たち多いからね」
 笑顔の三人に同意しておいた。いくら頭のいい佐原君でも全学年のファンを覚えてはいられないでしょう。
「同じ学級委員の会合に出続けていれば、覚えてくれますよ」
「俺の記憶力はそこまでよくない」
 振り返った。うわあ。確認をするまでもなく佐原君の声だった。ジーンズに水色のシャツ。いつものブランドものの水色のバックを斜め掛けしている。学校にお家が近いと気楽な格好ですね。普段着をはじめて見ます……。
「先輩、写真を一緒に撮って下さい」
 スマホを差し出される。私に言ったのでしたか。さっきは鵜飼さん、ここでは先輩。シェアリー。
「撮ります。はい。チーズ」
 桜の木の前で女子たち三人が佐原君を笑顔で囲む写真ができあがった。これでいいから私にもくれないかな。
「向こうで肥田さんが呼んでいたよ」
 佐原君はいつもの微笑みを浮かべて言っている。
「そうでした。お花見の係の仕事をしないと。行こう」
「ありがとうございました!」
 きゃあきゃあとスマホでデータを交換し合いながら向こうに行ってしまった。お花見の会ってこんな風ですか。
「なにあれ」
 呆れたように見送っている。睨まれてしまった。写真を撮っていいか私が聞くべきだったのですか?
「佐原君はアイドルさんだから」
「うれしくない」
 無表情に言われて一歩下がってしまった。すみません。いつも笑っている人でもありませんでした。
「ごめんなさい。わ、私、点呼に行っていないのです」
 またどもってしまった。でも、遅刻をし続けている印象になりそうで嫌です。肥田さんが見当たりません。
「行かなくていいよ。来ていますって言っておいた。疑われない。鵜飼さん真面目だから」
 淡々と言われる。真剣な表情を見返していた。嘘をついておいてくれたと言っていますか。私は佐原君に事前の連絡をすることもできませんでしたのに。
「でも……」
「遅刻する気はなかったでしょう。肥田さんに言っていないだけなら問題ない。あいつ嫌いだから」
 くるりと桜の大樹の方を向いて歩いて行く。水色のシャツが散っていく桜と同化するようだ。佐原君……。
 嫌いだなんて単語を言われたくもないです。そんなに私に良くしないでください。やさしい人じゃ困るのです。
「先に整理をしておかないと、片付け係を任されたよ!」
 佐原君が振り返って私の目を見て叫ぶ。片付け係……。私がそれならやれそうという役割を取ってくれた。
「早くして!」
「うんっ」
 走り出した。固いコンクリートではなく、やわらかい土の地面を足の裏で蹴って行く。
 佐原君が向こうで私を待ってくれている。うれしくないといった時と同じ表情だ。少し怒っている。佐原君が喜んでくれなくても、アイドルさんだから好きだってことは認めておく。

ページのトップへ戻る