曖昧ゾーン (7)

第三話 ラブレタープロジェクト


 ダンボールで作られた四角い箱の丸い穴から引いた紙切れは、本当に当たりくじだったのでしょうか。
“当たり! 学級委員決定。おめでとう”
 メモ用紙のマジック文字を眺める。安達先生が楽しげにこれを書いた様子が思い浮かんだ。
 首を振る。家に帰って来ても同じようなことを考えてぼんやりとしていたらよくない。少し勉強しないと。
 くじの紙を捨てる気にもなれず、元の線通りに四角に折り畳み、机の引き出しの端に放り込んだ。
 またため息をついてしまった。今日は何度目ですか。やめましょう。リュックと一緒に床に置いていた手提げ袋を取り、今にも破れそうな薄いレジ袋を先に取りだし、その下に入れていたカップケーキと机に並べた。
 なんてことでしょう。ジップロック袋の中でケーキの形が悪くなっている。二つとも悪くならなくていいのに。
 やる気がなさ過ぎる! と秀美が嘆いて、公香が平気だよと言ってくれる様子が今から見えます。
 ああ、本当にやる気がないのです。恋する女子高生が前向きに頑張れない気持ちは、私自身にもよく分かれない気がします。それが親友なら理由を聞きたくなります。でも、分かってくれなくていいのです。放っておいてください。言えるわけがありません。水くさいという問題でもなくて、私は今のままでいいのです。ホワイ?
 ああ、そう続く方がなお悪いです。そもそも佐原君はお勧めできない男子なのに、応援をしてくれなくていいですよ。二人が同じ中学校だったのは、同じ最寄り駅を利用しているご近所なので予想がつきました。情報をあげられると繋がりそうでした。だから、ばれてよくありませんでしたのに。
 携帯電話が鳴り、充電器から外した。広げてみると、秀美と公香からのメールだった。ラッピングとメッセージの指示をしてくれている。二人はラインで話しているのだ。
 もう面白がって! 親友についての質問すら佐原君にしてよくなかったようでした。永岡君って、佐原君と一緒にいませんよ。どこからの情報ですか? 田村さんたちがそう言っていても正しいと思えません。でも、それを言うと、私がそれだけ佐原君を見ていた証拠になります。私が見ている限りでは、永岡君は大村君と一緒にいます。佐原君は大村君と話しやすそうでした。そこに加わっている形ではなかったのですか? 秀美と公香に加わっている形の私に置き換えていますか。
 自分が親友と呼んでいない奴に、あいつは親友だと呼ばれたくない? 確かにそうかもしれません。永岡君はそんなことですぐに怒り出しそうなタイプです。磯さんは大村君に椅子を蹴飛ばされても平気そうでした。私だったら学級委員のペアをやっていられません。登校拒否になります。それこそお勧めしたい男子ではありません。
 言いたい放題の仲。私にあり得ません。秀美だったらポンポンとケンカし合うカップルにもなれそうです。
 私の学級委員のペアは優しくてさわやかな佐原君なのです。当たりくじの……。ああ、考えるのをやめたい。
 当たりと書いてあるのだから、当たりなのです!
 そう思うことにしよう。何度も同じことを考えても解決しません。良い方に考えてやっていくしかないのです。
 九十九円屋のビニール袋は端が破けていた。中の品物が平気か確認しておかないと。水色のリボン、水色のリボンタイ、セロファンの袋、誕生日カード、プラスチックのフォーク。色以外、二人が決めてくれた五点だ。
 うちの最寄り駅のすぐ傍のちいさい百円屋以下のお店では、誕生日カードは星がひとつ夜空に飛び出すものしかなく、悩む必要はありませんでした。ハッピーバースデー。広げると金色の文字が浮かんでいるのです。
 このくらい横文字で書きましょう? カタカナでなくてもお子様も読めるでしょう?
 夜空の下には、白い家々が連なっている。ボールペンを持ってみてもメッセージ部分に書く気にならない。
 制服のポケットから水色の革の定期入れを出し、折りたたんだメモ用紙を広げた。
「佐原君……」
 呟きながら携帯電話に登録をする。リップを唇につけ、ストラップのトトロを握り締める。
 好きな映画を聞かれたら、“トトロ”と笑顔で即答ができる。ジブリの作品ならどの映画も観たし、トトロ以外のキャラクターも好きだから、いくらでも話していられる。そんな風に好きな人の話もできたらいいのに。
「お姉ちゃん!」
 ドアをバタンと開けて妹のモトコが飛び込んで来た。慌てて机の上の物を手提げに突っ込んだ。
「ノックをしてください」
「お母さんが夕食だから呼んで来てって。それなに?」
 手提げ袋をお腹に抱え込み、数歩こっちに来たモトコに首を振る。今の勢いでカップケーキを潰したかもしれません。
「なんかお洒落なメモ用紙がないかなあ? 私が学校に持って行って問題がなさそうなやつ」
 九十九円では女子が持っていそうな適当なキーホルダーどころか、メモ用紙も見当たりませんでした。レジに立っていた金髪店員に場所を訪ねて、メモ用紙はいくつか手に取ってみましたけど、表紙がお洒落なだけでした。
「なにに使うの?」
「友だちに電話番号やメールアドレスを書いて渡したいの」
「あー。一冊くらいあると思うけど、なにくれる?」
 モトコ、その嬉しそうな笑顔はなにですか?
「なにと言われても」
「そのカップケーキをちょうだいと言わないから、なにかの時には私を助けてくれる?」
 目が合うと、ひらめいたとでも言いたげに笑った妹を睨みつけた。家に帰って来て姉になっても押されている。
「どんな時?」
「課題が分からない時。受験生でも彼氏はいるの」
「ああ、もちろん」
「とって来る。制服から着替えて、料理が冷める前にテーブルに着いてくれないと私までお母さんに怒られるからね!」
 頷いている間に笑顔でモトコは隣の部屋へ駆けて行った。彼氏はいつできたのですか?
「これでいいかな? お洒落というか、チェックの柄なだけだけど」
「うん。ありがとう!」
 すぐに戻って来て、ピンクと水色のチェック柄の二冊を持って来てくれた。表紙と中身が同じだ。薄いチェック柄の上に文字が書きやすそうです。さすがモトコ。すぐに出て来るだろうと思いました。
「文房具にもうるさいの? 名門校は大変だね」
「髪飾りひとつにもうるさいの。彼氏はどんな人?」
「同じ学校の人。今度、紹介するね」
「文化祭の時にでも来るの?」
「あー。秋になっちゃうでしょう。今度、うちに誰もいない時に! 勉強はお姉ちゃんとするから、約束ね!」
 笑って出ていった。家に一緒にいたことは事実だからって、アリバイの証人になれと? うちに呼ばないでください。ご近所の人が見たらばれるでしょう。図書館に行っていたにしなさい。今このメモ帳と引き換えに協力すると約束をしてしまいました。ああ、姉と妹で違い過ぎる。
 携帯電話を机から拾い上げ、佐原君の電話番号とメールアドレスが登録されたのを確認する。
 私の携帯電話の数少ないメモリーの中に“佐原君”が増えた。それだけでも特別なことに感じる。
 机に置かれたままの佐原君の電話番号が書かれたメモ用紙を手に取って微笑む。少し右上がりの文字もきれいだ。
 右下の端に書かれているのは一眼レフカメラのイラストだ。写真クラブは屋外でよく撮影をしている。将来はカメラ関係のお仕事がしたいのでしょうか。
 妹がくれた二冊のメモ帳から迷わず水色のチェックの柄のほうを広げる。自分の名前、携帯電話番号、メールアドレス。同じように並べていく。文字がきれいだねって、褒められたことだって……。
 佐原君のことを考えて、誕生日にあげるのはやめようと思っているカップケーキをラッピングするだけでも。
 どれもこれもうれしいに決まっていた。
 机の引き出しを開け、奥の方から日記帳を取り出す。ぱらぱらとめくっても、水色に虹が浮かぶ絵が可愛かったから買って来ただけでなにも書いてはいない。途中のページに挟んでいた写真を撮り出した。
 佐原君が“受付はこちら”と少し右上がりのマジック文字の画用紙を持ってカメラの方を向いている写真だ。その後ろの方に私が映っている。
 去年の六月の日付が右下にオレンジの文字で記録されている。修学旅行の後、学校の廊下に張り出されていたスナップ写真の中から、数字を写真屋に出して買った中の一枚だ。一緒に撮れていた写真はこれしかなかった。
 この時の私はなにをしていたのか自分でも分からないけど、秀美と公香も後ろにいるし、京都のホテルのロビーに到着して、フロントで受付を済ませ、部屋に行くまでの写真だと思う。
 他の写真は、百円屋で秀美や公香と買ったミニアルバムをマスキングテープやシールでコラージュした一冊に収めた。これを一緒に入れられなかった。誰が見ても“佐原君”の写真。大事にして来た。二度と手に入らないから……。
 くじ引きのメモ用紙を伸ばし、佐原君の電話番号も写真の下に重ねてぱたんと閉じた。
 今度は勉強机の下のキャリー付きの引き出しの上段にしまった。鍵を閉める。
 でも、この鍵は、さっきの上段の引き出しに入れてあるペンケースの中にしまっている。あまり意味があると思えないけど、家族が勝手に開けしないし、気分的なものだ。大事な思い出。それでいいではないか。
 夕食を食べて、カップケーキの半分をモトコにあげよう。両手を伸ばして伸びをした。

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