曖昧ゾーン (6)

第二話 - 4 頁


 苦手な大村君たちだろうと、この場にいてくれた方が話はまとまる方向に進んで行く。私ひとりで話し相手をするだと時間が過ぎ去るだけだ。
「あの、佐原君のそういうお洒落な格好を見たい子たち、いっぱいいるだろうなあって」
 佐原君がじっと見て来るから、そのままを言うしかなかった。私は男女ともに自分が話し慣れていない人との会話が苦手過ぎる。最近は少し改善されたと思っていました。そんなことはありませんでした。
「そういうものなの?」
 不思議そうに見て来る佐原君を見返していた。ホワイ? そういうもの、どういうものなの?
「このことでもなかった? なにをどう言ったら言ってくれるの? なにもないように見えない」
 真剣な佐原君の顔を見返していた。壁際に並んでいる距離が近い。息がかかりそうだ。
 なにをどう……。ドクリ、ドクリ。心臓の音が耳の奥まで響いて来る。なにも考えられなくなりそうだ。
 同じ学年の教室からのお喋りや、校庭でサッカーをしている男子たちや、帰っていく女子たちが騒ぎたてていた音が遠のいていく。視線を落としたくなる。でも、佐原君は目を逸らすのを許さないと強く見て来ている。
 私の態度が悪かった。ちゃんとどれも言えていない。役に立たなくても、私なりに頑張ると決めたのに。
「この年齢になってと思われそうだけど、たまごっちを持って来たい」
 言った。佐原君の目を間近に見返し続ける。それだけでふらりときそうだ。今朝から労力を使い果たした。
「あ、そっか。たまごっちか。俺も知っているよ。世話をしてあげないと家出をしちゃうのでしょう?」
「それは長く放置した時だけなの。懐かなくなったり、性格が悪くなったり、寝ているだけにもなっちゃうの」
「ふうん。その商品化の発端は、大手のゲーム会社に勤める一般職の女性が参加可能だった企画に応募をして、試行錯誤を繰り返されてあの形に商品化をされたのでしょう。爆発的な人気は衰えていても、メジャーなゲームだよ。年齢は関係がある?」
 真剣にたまごっちのことを語ってくれている。雑学の知識まですごいなあ。女性社員の企画を商品化してヒットしたとしか知らなかった。いくら佐原君でもバカにされそうだと思ったのに。
「でも、六歳くらい向けかと……」
「対象年齢がそれだけ低ければ通るよ。勝手に持って来ている女子たち、鵜飼さん以外にも絶対にいるから!」
 明るく笑われてくるりと廊下を歩き出した。佐原君の背中に向かって息をちいさく吐き出す。ホッとした。
 絶対に、私と同じに思っている女子たちはいますか。私は学校に持って来たことはありません。家出までしてしまうほど放置もしていません。でも、寝る前にベッドの上に座り、タマゴ型の小さいゲーム機をいじって癒されているだけなので、大して変わらないかもしれません。いつも飼い猫は寝てしまっています。いつか本物を飼ってみたいです。我が家にでは許してくれるわけがありません。
 手すりを持って階段を下りながら佐原君の背中を眺める。まだなにか聞きたいことがあった気がした。
「佐原君、永岡君とも親友さんなの?」
「親友さん?」
 斜めに振り返られた。自分が声をかけて、階段をいくつか下ったところで佐原君が立ち止まって振り返ってくれる。
「もって誰と?」
 更に聞き返して見上げて来てくれる。答えるまで待っていてくれる。ドキドキしない女子なんていない。
「親友代表って、案内係をした時に聞いたから」
 ケンゴ君の苗字はなにさんでしたか? 佐原君がケンゴと呼んでいたからって、私も同じように呼んでいたら変です。
「誰に?」
「お名前を忘れてしまいました。ジュースを選ばれていたうちのクラスの方です」
「ああ、山本ケンゴ。あいつはろくなことを話していないな。永岡は幼馴染かな?」
 かな? それだけ言って階段を降りて行く。つまり、永岡君は佐原君の“親友”ではないのですね。
 じゃあ、ケンゴ君は誰と合わせて、佐原君の親友代表と言っていたのですか? 聞きたい。
 秀美のためでもそこまで聞けるわけがない。佐原君とは幼馴染でしかなくても、なんらかの情報を聞き出すくらい……。いいえ、秀美は私がここで聞けるような情報は、他のクラスの子に聞いて持っているのです。親しくなりたいと言っていたのでした。秀美だったら、親友も幼馴染も変わらないでしょうが。それがなに? と言うでしょう。
 私は違うと思います。親友というのは……。特別枠であり、ただの幼馴染とは違います。例えば、私なら幼馴染と昔のように遊ぶことはなくなりました。それでも近所で会えば話しますし、母同士はお茶会もしています。彼女が幼馴染なのに変わりはありません。でも、親友ではありません。線引きはあるのです。だからなにでしょう?
 佐原君の疑問形の話し方は、なにかが引っかかります。私が立ち入ることではないのは分かります。
 一階の廊下に着いた。職員室と下駄箱へはここで左右に分かれることになる。うまく会話ができたとは全く言えませんけど、頑張って佐原君と学級委員の今日の分の仕事を終えました。軽く挨拶をして、手を振ればいい。
「じゃあ……」
「俺たち近所だから」
 またくるりと佐原君に振り返って言われる。また同じようになにも考えられなくなった。
「俺が本屋の息子で、ケンゴが布団屋の息子。永岡は同じ町内のマンションに住んでいるから少し違うわけ」
「あ、知らなかった……。代表者の方を通すべきでした」
「なにを?」
 首を振る。私もよく分かりません。でも、男子の親友の区画は代表者がいるものなのですか?
「男子の親友と、女子の親友って違うのかなあと」
「どっちも同じでしょ。自分が親友と呼んでいない奴に親友と呼ばれたくないだけでしょ」
 え? だけ? その持論もよく分かりません。そこだけは正確に貰えますか? 秀美や公香とも議論になりそうです。
「お互いに親友と呼び合えば、親友だということになりますか?」
「そうだよ。親友とはなにかなんて難しい話をケンゴとしなくていいよ。たいして意味がなかったと思うよ」
 いえ。親友代表として、佐原君が楽しそうで良かったとケンゴ君は言っていただけなのです。
 でも、それを佐原君に言ったら、またさっきの怒りだす直前の雰囲気になり、ケンゴ君と揉めそうで嫌です。
「ごめん。鵜飼さんの言いたいことがよく分からない」
「謝ることはないです。私、友だちが二人しかいないから羨ましかったの」
「俺にも二人しかその例だといなくない?」
 笑っている。ここでも立ち止まってくれなくていいです。私は話すのがなんて遅いのでしょう。
「でも、俺たちには親友とその他がいるという話だったの?」
「違います。うまく交流ができたらと思って」
 なんて苦しい言い方でしょう。でも、佐原君と学級委員になって、うまく繋ぐのならこんな形のはずです。
「そうだね。友だちの人数を気にすることないよ。今度、学食で一緒に六人で食べよう」
 バイバイ! 佐原君は手をあげて笑顔で帰って行った。手をやっとのことで振り返す。
 今も重いことを言った気がします。学校に、友だちが二人しかいないと言いなさい。まるで私の友だちが合計で二人しかいないようでした。さっき思い浮かんだ幼馴染を加えないと、その他の友人までいる気がしないので同じですか? 秀美の昔からの友だちとも文化祭や体育祭でお昼を一緒にしたことくらい何度かあります。私の友だちと言っても構いませんか? でも、公香にしても彼女たちは秀美の幼馴染であり、自分の友だちではないというのは見えます。いえ、友だちが二人しかいなくてもいいと佐原君が言ってくれたのでした。気にするのをやめましょう。そう考えねばならない時点で充分に気にしています。
 ああ、ぐるぐると考えてしまう。自分が嫌いです。
 佐原君の水色のシャツが角を曲がって消えて行く。廊下に差し込む夕日に眩しく滲んだ。
 リュックを背負い直し、プリーツスカートの裾をぎゅっと両手で握り締める。“鵜飼さん”じゃなくて、“あの三人のうちのひとり”という認識だけでいい。佐原君のファンクラブの人たちが誠実な活動をしているのなら、私も輪の中に入れて貰って、佐原君をこっそりと一緒に見続けていたい。佐原君がみんなのアイドルさん、私はファンクラブの中のひとりに過ぎず、行事の時にグループの輪に混ぜて貰って軽く話して、笑い合えるくらいの関係性がいい。そのファンクラブの代表者になりたいとも全く思わない。
 ……すき。告白だ、どうしたいとかじゃない。
 今言いたいこと、思ったこと、誰かに言ってもちゃんと伝わらないのは分かっている。
 でも、このままがいい。このままでいさせて欲しい。だって、本当にそういう希望じゃないもの。
 好きなこと、好きなもの、好きな……。すべての言葉を続けられない。なにもかもが曖昧なままでいたい。
 その方が私は頑張れる。秀美の恋は応援する。公香に好きな人ができても役に立てたらいいと思う。自分だけ彼氏がいない状況になっても寂しいなんて思わない。学校でひとりきりの時間が増えたら嫌だけど、疎外するような二人じゃないのは分かっている。私は恋愛事に憧れの気持ちがあるだけ。それが本当になったら、逆に怖い。
 今の時間がうれしくても怖かった。この気持ちを誰かに分かって欲しいなんて思っていない。
 だから、お願い。このまま、曖昧なまま……。
 佐原君を見送り、スカートから両手を離すと一息ついた。今の私にできること。私の今を守ること。
 頑張る。背を伸ばして職員室に向かった。

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