曖昧ゾーン (8)

第三話 - 2 頁


 その次の日。朝食は食パンにジャムをぬって、牛乳で流し込んだだけで済ませて学校に向かった。
 教室には誰もいなかった。カップケーキを手提げ袋から取り出す。形が悪くなっていた。両手で抑えてなんとか直した。プラスチックのフォークを入れ、セロファンで包んでリボンタイで留めるラッピングまではして来た。
 自分の席で水色のリボンを蝶結びにする。持って来たハサミで端(はじ)を三角に切り、形を整えた。
 リボンをきれいに結んでいるとまた手提げ袋の中で潰してしまいそうだった。後はカードを書くだけだ。
 このカードはどう入れるのですか? 適当な紙袋がありましたか? 朝、納戸を探していたら遅くなった。
 小さい紙袋と、英字のマスキングテープを探し出して持って来た。これでなんとか形になる。二人が来る前に書いてしまわないとならない。誕生日カードのメッセージをボールペンで記入していた。
「サトコ、おはよう!」
 秀美と公香は一緒にやって来た。私が挨拶を返す前にカップケーキを秀美が手に取って見分している。
「おー。可愛くなった」
「それモロゾフのチョコレートについてくるやつでしょう?」
 公香に紙袋の絵を指さされる。うちにはこの紙袋しかラッピング向きでありませんでした。適当なやつとはこんなもののはずです。
「バレンタインデーみたい」
「朝に紙袋がいるって思ったから」
「私もなにか足りないと思った。プロジェクトの発足が突然だからさあ」
「重要なのは中身。なんて書いたの?」
 秀美が言って、二人に手元のカードを覗き込まれる。
“佐原君にお話があります。今日の放課後、学校の隣の桜記念公園の中央広場に来て貰えないでしょうか”
 じっと見られる。“ハッピーバースデー”は、夜空に飛び出す流れ星の下に大きく銀色の文字で印刷されているので、書く必要はありません。その下には白い家々が立ち並ぶ。デザインを邪魔しない右端の部分に二行も書けば十分です。
「それだけ?」
「ちいさい」
 二人同時に言われる。予想通りです。でも、私にとってはカードに書くだけでもこのくらいが目一杯です。
「しっ。誰か来た。しまって」
 秀美にカップケーキを返されて紙袋にカードと一緒にしまった。クラスの男子の二人が話しながら入って来た。
「出しに行こう」
 二人にせかされて紙袋を手提げ袋に入れ、それだけ持って一階の下駄箱に向かった。
 下駄箱も座席と同じで男女混ざった名前の順だ。佐原君の場所は名札のシールを見て探さなくても分かる。蓋が持ち上がり、プレゼントであふれ返っていた。
「あちゃー。さすが誕生日、みんな用意周到だね。手作りばかり?」
 秀美は屈んで見ている。遠めに見ても女の子らしく凝ったラッピングばかりなのは見えます。お店で包んで貰ったようには私にも見えません。本当にバレンタインデーのようです。
「来た時よりも増えたね」
 公香が言っている。来た時?
「私が登校した時には、下駄箱の蓋はしまっていました」
 そっかあ、二人は残念そうに言って見合っている。
 私は下駄箱の蓋を開けられる気がしませんでした。上段には指定の白いスニーカーが入っているでしょうから、ローファーが入るべき下段が開いていたからって、手作りのお菓子のプレゼントを勝手に入れるなんてとんでもないです。ぎゅうぎゅうにつめられて蓋を開ける必要はなくなった。それだけでもほっとしました。
「また誰かきちゃうよ」
 公香に囁かれる。本当に出すの? 見上げると二人に挟まれて頷かれ、手提げ袋から遅い動作で紙袋を出した。
 校庭の方から賑やかな声が聞こえて来ている。急がないと。他の誰かに見られてよくない。さっさと入れてしまわねば。
 下駄箱の前で屈む。佐原君の下駄箱の下段の端の方に目立たないように押し込めた。蓋を閉められないながらも上から伏せた。クリスマス柄の青い紙袋が見えてしまっている。これ以上押すと、私のカップケーキだけでなく、皆さんの佐原君への手作りの品を潰すことになる。これでいいとしよう。立ち上がった瞬間、二人に拍手をされた。
「朝からありがとう」
 首を振っている二人になんとか微笑み返した。ごめんね……。
「よし、後は告白するのみ!」
 二人はよくやった、というように背中を叩いてくれた。ごめんね……。
 生徒たちが登校して来た廊下を一緒に歩きながら繰り返し思った。ふざけている面もあっても、秀美は永岡君の誕生日と一緒に佐原君の分まで確認してくれた。朝早く、私のために公香も登校して来てくれたのに。私だったら面倒だなと思うことをリードしてやってくれたのに。
 佐原君への誕生日カードには、私の名前が書いていない。封筒にも中にもどこにもないの。
「おはよう」
 佐原君がケンゴ君と並んで通り過ぎていく。手に下げた紙袋にプレゼントが山だ。
「……おはよう」
 言い返した時には数歩先を歩いている。教室に入って行く。相変わらず行動が早い方です。
 後から教室に入ると、佐原君は紙袋を机の上において、周りに冷やかされていた。こんなに近くても遠い人。
 私はあの中のプレゼントの山のひとつの存在でいいの。佐原君だったらあんな告白文を気にしない。誰だか分からないカードの中身を確かめに公園まで来ない。いくらだって彼女を作れる。思っていた以上に人気者だ。
「みんな佐原が好きだな」
「さわやかだもん」
 秀美と公香が私の席のところで同じように佐原君を斜めに見ながら言っている。
 ごめんね。三度目の正直ってやつを心の中でつぶやく。やっぱり言えないよ。佐原君のことをそんなに好きじゃないなんて。

 やっとお昼になった。今日の授業はノートをきちんととっていても、はっきり言ってなにも聞いていなかった。
 裏庭のベンチでお弁当を広げて、佐原君に学食で食べようと言って貰えたことは報告した。
「今度っていつ?」
 秀美の鋭い返しに首を傾げる。もっと分かりやすく喜んでくれるかと思えば、固い顔つきで悩んでいる。
「私たち学食に行かないのを知らないから……」
「そうだよね。今度、来た時に一緒にということだよね。苦手だな」
 頷く。うちの学校の食堂は狭い。ぶつかりたくない人たちと近い席になる確率も高い。お弁当の方が自由だ。
「みんなで食べようと言っていたよね?」
 秀美は私の質問に頷きながらお弁当を広げている。視線を逸らされてしまった。気のせい? 元気がなくなった。学食はそんなにまずかった? ナフキンを木のテーブルに広げてお弁当を一緒に開けた。
「ここでいつも食べているって言っておく?」
「えー。男子はお弁当をどうすると言っているの? 六人って、合コンみたい」
 卵焼きを頬張りながら公香が言っている。そうかもしれません。私も梅干し入りのおにぎりを頂きます。
「山本ケンゴ君ってどの人?」
「同じクラスです」
「私、その人を知っている?」
 公香、不満そうに聞かれても私に分かるわけがないでしょう。名前を知らないなら恐らく知りません。
「商店街の布団屋の息子でしょうが」
「うち買わないよ」
「山本ケンゴ君が親友代表さんなのです。良い人そうでした」
「だから合コンみたいでしょう! 私にも好みはあるよ。格好良かったらもう覚えている」
 公香の抗議の声を聞き流し、そっと斜めに振り返る。やっぱり。田村さんたちが賑やかに向こうから来た。
「ここに座るねー」
 購買でジュースを買っていた子と目が合ってしまった。おにぎりを食べていて話せませんとやりながら頷く。桜の木の傍のテーブルで食べるからって私たちに断わる必要もありません。向き直った。
「あの方はなにさんでした?」
 小声で聞く。裏庭でも目立たない桜の木より奥のベンチに座っておいて良かった。
「ミサキ」
 苗字なのか名前なのか分からない風に秀美が教えるから、ケンゴ君も苗字が分からなかったのでしょう!
「なにか佐原君に絶対に贈ったよね。手縫いの巾着袋そうじゃない?」
 公香が言っている。はっ。田村さんがベンチで寝ていた大村君と話している時に振り返ってしまった。見てはならない。
「下駄箱にいれるかな? 田村だったら、学級委員だったお礼にと手渡しそう」
「うわあ」
 勝手に決めすぎです。でも、田村さんは下駄箱にこっそりと入れると思えませんし、直接に言えるでしょう。
「サトコのお礼にジュースを買って来る」
「いいよ」
「すぐだから」
 秀美は立ち上がって行ってしまった。斜めに見送る。今、タンブラーを保冷の手提げ袋から出したところですよ。佐原君の提案です。私にお礼をすることはないとすぐ返すべきでした。公香と目が合った。まだ大好物の卵焼きを食べている。
「囲む会を取り間違えたね。お洒落な喫茶店にでもできたら」
 良かったです。どう誘えたのでしょう? お洒落な喫茶店は、お洒落なメモ用紙探しより難しい気がします。
「そんなことないよ。秀美は中学校の頃からものすごく永岡君が好きだったらしいよ」
「……そうかあ、分からなかった」
 おにぎりの梅干しがすっぱく感じる。うちの母も焼いてくれた卵焼きも一緒に口の中にいれた。悪い方に考えるな。秀美と公香は一年生の時から一緒にいてくれた。私が仲間の三番目でも外されることはなかった。
「サトコは気が付かないよ。私だって中学のいつ頃から秀美が永岡君のことを好きで、なにがきっかけなのかなんて知らないから」
「でも、気が付いたのでしょう?」
「ここの学校を受験する時に聞いたの!」
 怒ったように言われて頷いた。公香は佐原君のことも自分だけ聞いていなかったのかと気にしていたのでした。
「公香なら気が付いたのかと思った」
「秀美にはムリだよ。私は夢のためにこの学校の家庭科部に入りに来たの。料理以外は好きじゃないけどさあ。秀美は私とだけでなくて、永岡君と同じ高校に行きたいと話していただけだよ」
 どんどんお弁当を食べながら嫌そうに言っている。公香は分かりやすい。秀美はなにを考えているのか察するのは難しい。夢への一歩ために家庭科部に入ったのでしたか。家庭科部の顧問はレシピ本も出している料理研究家なのでした。その活動の割には遊んでいると思います。我が校は“自由に夢と個性がある生徒を育成する”ことをモットーとしているのでいいとしましょう。高校三年生の今になって学校のスローガンを覚えている。そんなことまで考えて受験校を選ばなかったから損をした気がします。今更と思うのもむなしいです。
「永岡君は女の子と一緒にいないよね?」
「見たことはない。もてているけど、佐原君ほどじゃない。お金持ちの息子さんでもあるから」
 頷きながら聞いていた。商店街に住んでいる俺たちとは違うと佐原君が言っていました。
「いいですね」
「憧れている分にはね。私たち凡人だし、佐原君よりうまく行くのは難しいと思う」
 佐原君と常に比べないでください。商店街のお店の経営は、うちの父のようにチェーン展開をしているスーパーに雇われている店長よりも大変でしょう。
「サトコはよくやったよ。悩むことないよ」
 公香にすっぱり言われて泣きたくなってしまった。
「ありがとう」
 親友とただの友だち、幼馴染。どういう線引きから来るのかは分からないけど、言葉にできない感覚からの違いがなんとなくあるのは分かる。私も二人の親友と言ったら違う感じかな? 進路や恋愛の相談だけでなく、暗い部分も含んだ本音で話したい時、私はその場にいない方がいいのではないかな? どこかで思っていました。
「ううん。私が二人の気持ちがよく分からないから。普通の家の娘だしさあ」
 公香がそんなことを気にしていましたか。私も恋愛なんて語れませんよ。全く気にすることはないです。
「父に言ったら、家族まで卑下するなと怒られそうです」
「話したらだめだよ」
「冗談でも言いません」
「私もうっかり言わないようにしないと。とにかくさあ、永岡君がランチにまで来るか分からないけど、隣のクラスになったのだし、秀美を応援しようね!」
 頷く。秀美がジュースを抱えて戻って来た。そうかあ。一、二年生の時は永岡君も遠めの教室のクラスでしたか。永岡君は何組の方だったかも知りません。
 佐原君はずっと一組だ。私たちは三組と四組だ。三年間同じクラスで本当に良かった。佐原君とは隣のクラスになりたいとも思わなかった。廊下ですれ違う程度しか接点がない関係も悪くなかったのです。学年のアイドルの佐原君のイメージのままに夢を見られました。
「ツブツブ入りみかんジュースがもうなかった」
 秀美に四角いパックを差し出される。私がいつも飲んでいるジュースを秀美と公香は覚えていてくれている。
「一緒のオレンジジュースでいいよ。ありがとう」
「ううん。こちらこそありがとう」
「タピオカも一緒に入っているの?」
「ミカンしか入っていないよ。百円です」
 公香に返しながら紙のパックを秀美から受け取った。冷たい。汗をかいている。
「値段の問題?」
「そうだよ。紙パック! 他のツブツブも入っているなんて考える人、はじめて見た」
 ね? と秀美に笑いかけられて、微笑み返した。
「ひどい。その方がおいしそうでしょう!」
「オレンジだけの方がおいしそう」
「ミカンと違うと思う」
 二人は言い合っている。他の会話に移って行く。ホッとした。ストローを紙パックに指す。一口飲んで微笑む。
 ミカン以外のツブツブが入っていたら好きじゃないかもしれません。余計なことは、もうしないでおこう。できないままの奴でいた方がいいこともある。

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