春に見た最後 (6)

第三話 - 3 頁


 セーラー服の襟元の校章が刺繍されているネクタイを引っ張られる。両側の襟下のスナップで止めてあるだけだからパチンとかんたんに取れた。床に落とされるのを見ていた。
 真野君は、身体を離すと、白いシャツを脱ぎ、ベルトを取り、次々と床に落として行く。
 動かない横顔をちらりと見た。私も真野君と一緒に布団の中に入りたい。
 喉の奥が渇いて、心臓がおかしくなりそうなほど鳴り響いて、何の音も聞こえず、やたらと静かで。なにも言えなかったけど、セーラー服の上から同じようにして脱いだ。
 お互いに何も言わなかった。上から下に屈んでいって順番に脱いでいくだけだった。
 白い長袖のシャツとショーツだけになってやっと隣を見た。
 真野君は、トランクスだけだった。予想以上に筋肉質な体つきに驚いて視線をあげた。
 目があった途端に抱きしめられ、ベッドの布団の中にもぐり込まされた。
 毛布を整えるためなのか、態勢を整えるためなのか、布団をかけてくれるためなのか、ごそごそとしている間、なにも動けなかった。横向きに抱きしめられ、身体じゅうを撫でられてキスをされる。髪の毛のシュシュをゴムごと引っ張られ、痛く三つ編みをほどかされた。
 少し冷たい肌と肌が触れ、身体全体を抱きしめられて、腰を浮かすようにして上に持ち上げられると、枕の上に乗せられた。
 顔にかかった髪の毛を乱暴な手つきでかき上げられ、上から真野君に覗き込まれる。
 今まで見たことない、切羽詰まったかのような、なんとも言えない表情に惹き付けられた。
 手首を捕まれ、両手を広げて枕の脇に押さえつけられ、唇と唇を重ねる。両手頭や頬を撫で回され、何度も何度も何度も角度を変え、私がねだったキスを越える、キスを繰り返した。
 ――んっ!
 思わず声にならない高い声が出た。これは誰のものなの。もうやめて欲しい。
 濡れ切ったお互いの唇が音を立てて離された。それをどうとか感じる間もなく、真野君の両手がシャツの中の素肌の上をくすぐったく滑って行った。
 シャツをバンザイするように脱がされた。私の頭を抱えられ、髪の毛を枕の上に持ち上げるようにすると、首元に顔をうずめられた。息を深く吐いて吸うことを繰り返している。
 シャワーを浴びて来てもいない。昨日、髪は洗って来たけど、真野君と会うつもりでもなかった。
 恥ずかしい……。他にはなにも考えられず、両手で枕の端を握ることしか出来なかった。
 背中に両手を回され、ブラジャーのホックを外され、その布を持ち上げられ、やわらかく胸のふくらみを確かめるように、両手で同時に両胸を包み込まれる。ゆっくりと回しながら全体を撫でられ続けた。
 真野君は寝てしまったかのように深呼吸を繰り返していて、首元から顔をあげない。
 息がうまくできない。背中からお尻に落ちる手のひらが身体の線を折って行く。触れられた箇所は、どこも鳥肌が立つような感覚が走った。首を左右に振るほどむずむずとし、体をひねってしまいたいようなかゆさがあり、茶色い天井がにじむほどの熱を持っていた。
 布団の中央で膝を折ったままの私の両足を両足で抑えられ、真野君の唇が首元から肩に、その下へ肌に沿って落ちていく。片方の手で回すように撫でていた左の胸元にも落ち、先端を唇で加えられる。
「真野君……」
 かすれた声で彼を呼ぶと、枕を握りしめていた手を握り返してくれた。
 乳房の突起を撫でながら噛むようにされると、少し痛かった。でも、どれも痛くていい。
 他の誰でもない私が真野君の好きに彼のベッドの上でされて、みんなあとに残ればいい。
 私が彼を好きになったのは、高校の入学式。ピンと伸びた背中を見た時だ。
 あれが春に見た最後だった。


 うちの高校の裏庭に大きな桜の木がある。
 入学式の前、はじめてのバス通学の中で誰かがそんな話をしていて、私も見に行った。
 その桜の木の場所は、生徒たちが流れる後をついて行ったら、すぐに分かった。
 満開だった。私は、式がはじまる時間の少し前に学校に着いたから、裏庭に行った時にはたくさんの生徒たちがいた。桃色に丸くなった桜の木の周りで輪を作っていた。太い木の峰に近い輪の中心の方では、スマホを構えてカメラで撮り合い、楽しげに騒いでいた。
 陽だまりの中、あたたかい風が吹いて、薄い花びらが散っていく様子は、ただただきれいだった。
 集団の一番後ろにいた私の前には、桜の木より視界に入って来るピンと伸びた背中があった。
 その男の子は、私と同じく、誰とも話していなかったけど、周りではしゃいでいる生徒たちと同じように真新しい制服と鞄だった。男の子らしい筋肉質な背格好をしていた。
 その時、高校の入学祝いにお爺ちゃんが買ってくれたガラケーを握りしめていた私がカメラに収めたのは、風に花びらを舞い上がらせる桜の木はオブジェでしかなく、中心はその男の子の背中だった。
 彼が振り向いて、微笑んだ途端、私はお辞儀をした。
 ――うわ、すてきな人だなあ。
 単純にそう思った。でも、彼の視線は、真後ろにいた私を見てはいなかった。
 花びらたちは、向こうからこっちへ風と共に吹いて来ていた。手で振り払わないと視界を遮るほどだった。その花びらが向かう先を見ていたわけでもなかった。彼の視線を追って行った先には、ベージュのスーツを着て、ウェーブをなびかせる大人の女性が立っていた。
「牧先生!」
 生徒の誰かが叫び、記念写真を撮ろうと男女が集まっている様子を彼はじっと見ていた。
 見知らぬ女性教師に心惹かれ、その姿を記憶し切り、名前を覚えようとしているのが分かった。
 次に目が合った時、私は、彼の目を見られず、足早にその場を去った。
 プラカードの案内板を持った生徒会の人たちの声掛けに誘導され、入学式が行われる校庭の一番奥の体育館へ急ぐ必要もないのに、小走りに向かった。
 すごく申しわけがないことをしたと思った。彼は、後ろにいた私に向かって微笑をしたわけではなかったし、桜の木の向こうで上級生たちに囲まれて笑っていた女性教師にその表情を見られる予定もなかった。思わず彼女に対して笑った。彼だけの時間の邪魔をした。
 後ろめたい感情が湧く(わく)一方で、ものすごくドキドキもした。私だけが彼の無防備な時間をこっそりと盗み見た。
 桜ではなく、彼の真っ直ぐな背中と、あの無防備な微笑を見るために来たと思った。
 私にあなたの名前を教えてください。
 あの頃、独身だった牧先生に真野君が恋をしたのと同時に、私も彼に惹かれた。
 牧先生が今年の春ごろに結婚をしたと朝の教室で報告をして、みんなに冷やかされて騒がれていても、真野君は、教室内を振り向きもせず、教壇の前の席だから、目の前にいる牧先生が顔を赤くして笑いながら、クラスメイトからのお相手は誰なの? どう知り合ったの? 結婚式はするの? というような質問攻めに答えている姿を見ていた。
 かないっこない。真野君は、あんな風に私に笑いかけてくれることはない。私がどれだけ頑張っても、絶対に、あの瞬間に勝てない。ずっと記憶に残っている真野君。
 だから、高校一年生の時の四月六日が私の初恋の日であり、春に見た最後の夢だった。
 時間がたくさん経っても、目をつぶれば、脳裏にくっきりと蘇らせることが出来る。
 春に見た最初で最後の真野君の満開の微笑みだった。
 見上げていた後ろ姿。目が合ったと思った瞬間。私が桜より見せられた真野君の微笑み。
 どちらも私のためのものではないけど、牧先生も知らない。
 私の頭の中だけに残っている春に見た真野君。


 窓から陽が降り注いでいるのが肌で分かった。布団の中でいつの間にか眠っていた。
 真野君の肌の感触と心臓の音。今が何時でも私がいつ起きたのでも良かった。
 一緒に眠っていることがすごくうれしかった。ずっと今が続けば、真野君は私のすぐそばにいてくれる。真野君の寝息がまつ毛にかかるくらいに近くに。
 真野君に抱きしめられ、横向きになったまま動かずに眠ったふりをしていた。他の誰にも同じに感じさせず、重なるようなお互いの息と心臓の音を一晩中だって聞いていたい。
 私だけの真野君。真野君だけの私。少しでも長くここにいさせて。私を感じていて。
 好きなの。

 これ以上、言えない。動けない。好きだと告白なんかしたら、止まらなくなる。この関係が終わってしまう。
「……してもよかったのに」
 呟いた。並んで手を繋いでゆっくり歩いて帰る道のり。
 あたたかくやさしい夕焼け。身体のあちこちを乱暴にした。今まで知らなかった真野君。
 何も話していなくても、手を握れば、握り返してくれる。なんて幸せな時間でしょう。
「痛い!」
 頭をこぶしでぶたれた。せっかくの時間をおじゃんにしないで。
「そんな急なことしない」
 隣を睨むと、真面目な顔で言われた。この展開は、急ではなかったのですか?
 一般的に見てもここまででも急だと思う。今日、ひとつになれてしまったら良かったの。
「明日、予備校で。遅刻しないように」
 時間に合わせて来たから、バスはすぐに来た。開いたドア側に繋いだ手を大きく振り、乗り込めというように離す時に、真野君は言ってくれた。頷くと笑顔を返され、微笑み返した。
 バスが発車をしても、バス停のところで真野君は、ピンと立って見送ってくれていた。
 その姿が見えなくなるまで、手すりを引っ張り背伸びして、手を振り続けた。
 手を振り返してくれなくても、私のことだけを見て、私が乗ったバスが走って行くのを待ってくれている真野君を見るだけで、いつものように真っ直ぐな真野君の背中を見送る自分でなくなれただけで、泣きたくなるほど胸の奥が熱くなった。これで私には充分だ。
 空いた後ろの座席に座り、真野君の姿が見えなくなり、陰って来た夕焼けに手を振る。
 高校の入学式から卒業式まで三年間、ずっとあなたのことが好きでした。

ページのトップへ戻る