さようならと言わないで

読み切り完結


 ぼくたちは終わりかもしれないねと言ったのは、あなたの方。
 そうかもしれないね、そうならもうさようならだね、と言ったのはわたしの方。

「でも、別れるのはね、やっぱり、ね」

 やっぱり、ね? 一緒のコタツの布団に入り、さっきまで二人で分け合って食べていた、ケンカする前の食べかけのみかんがひとつだけころりと転がっているちいさなテーブルの上を眺めていた。わたしの視線を追うようにして見ているあなたの視線を感じて思い切って見上げ、あなたのその言葉にすがりつくようにして瞳を見つめた。
 その厚いまぶたも、顔にかかる前髪も、すべてすべてわたしのもの。まだ。
 お別れなんて言えるわけがない。
 だってわたしたちの出会いは運命だった。

 近所の図書館で。好きな本を同時に手にとって。
 そんなの。使い古されたシチュエーションだったかもしれないけれど、運命だった。

 だってあれは昔、わたしが何度も読んで泣いた本だったから。
 その本を選んだあなただから。目が合った瞬間に付き合うことは決まっていた。あれは運命だった。
 誰が何と言おうと、あれだけは、あなたと出会った瞬間だけは、絶対に運命だった。

 わたしたちの関係、続けて行って、どうなるか分からないけれど。
 それでもいて欲しい。
 わたしのそばにあなたにいて欲しい。
 お互いの一番の趣味の読書の好みはぴったりだったのに、それ以外は全く合わず、こんなに揉めてばかりいても一緒にいて欲しいの。同じに好きだろうと同じような価値を持つ本であったわけでもなくても、運命だと信じているから一緒にいて欲しいの。わたしの押し付けかな? わたしがわがままなのかな? それとも一緒にみかんを食べていた時の何気ない会話のどこかから急に不機嫌になったあなたの勝手なのかな?
 今、ここまで揉めている原因は、一緒に暮らしてみたらお互いの好みや価値観が合わないことがはっきりしたというような、根本的な何かなのかな? それとも、さっきまでの会話からのひとことだったのかな? 二人が出会う前のことをあなたがほとんどわたしに話してくれないから、責めるようにまた言ってしまったせいなのかな? そのどれもが当てはまるのだ、などと言われたら、終わり“かもしれないね”でなくなる気がして聞けない。
 急にあなたが怒り出したのは、どういうことからだったのかやっぱり……こうやって向き合って話しているのに、わたしにはやっぱりもうよく分からないから、終わりなのかもしれないけれど。
 そんなことはどうでもいい。どうでもいいの。

 だってあなたは、まだ終わりだって言い切ったわけじゃない。
 コタツテーブルに視線を落として、終わりかもしれないねと呟いたまま黙りこくっている。
 思わずそうかもしれないね、と自分の口から出たのにだって驚くくらい、わたしは傍にいたい。
 あなたがどれだけわたしから離れたいと言ったとしても、子供のようにいやだ、いやだ、と泣いてすがりたい。
 だってあなたのこと好きだもの。
 即答が出来る。何も考える必要などない気持ちだもの。でも、あなたの今の苦しそうな顔に対して、それだけの言葉じゃあ足りないよね。
 同年代のわたしたちは社会人になって十年以上も経った時期に出会って、付き合って、一緒に暮らすまで。お互いの出会っていない、今もよく知らないことも含めれば、いろんなことがあった年齢になっていたよね。お互いの知らないことも多かったし、お互いに話したくも思い出したくもないことが以前に同じようにあったよね。
 だからこそ、わたしたちは分かりあえたし、短期間に好き合い、このちいさいアパートの一室に一緒に暮らすようになったのだよね。
 あなたを苦しめているのは、たまにぽつりと語られるあなたの忘れられない過去からの束縛なのか、わたしとの揉め事なのかも、よく分からないわたしはひどいのかな。だけれど、わたしは思い切って前髪が隠すあなたの瞳を覗き込んではっきりと言った。

「わたしはやっぱり、あなたのことが好きだからね」

 あなたと出会ったあの時、あまりに泣かせるせいで手放してしまった本を探していた。そのタイトルすらも思い出せず、市内で一番大きな図書館でさんざん探し回っていた。好きな本だったのに。その本を手放すことで泣かせる問題そのものから逃げた。あんな風な自分自身には二度とならない。ずっと手元に残しておくより、手放してしまう方が楽だった自分に戻りたいとは思わないの。
 そして、ゆっくりと顔をあげ、わたしの瞳を真っ直ぐに見て来たあなたは……。

「バカ。ぼくは大好きだよ。そんなことを言うの、二度とやめてよね」
 やっぱりずるい。
 寂しいと泣き叫んだ朝、嬉しいと喜び合う夜。あなたの思うままなのだもの。

【おわり】
矢印過去サイト作品・2019改稿版(WEB拍手お礼掌編『Do not say good-bye』を改題。初稿2007-03)

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