曖昧ゾーン (3)

第二話 黒板消しとたまごっち


 朝、三十名のクラスメイトたちから自分が見られている。視線を落とす。声が出ない。
「学級委員のふたり、挨拶をして。なにかひとことずつでいいから」
 担任は、ホームルームに黒板の前に立たせ、チョークで学級委員のフルネームを書いている。佐原君と交互に見て来た。なにかひとことってなにですか? ムリです! 学級委員のくじ引きが良かったことにしたのは、どこの誰ですか。
「じゃあ、俺から」
 佐原君が教壇の横で一歩前に出た。なんて良い人だ。
「学級委員にくじ引きで選ばれました佐原俊行(としゆき)です。俺のことをまだ知らない方も多いでしょうけど、三年連続で生徒会役員をすることになりました。その経験をクラスのために活かし、就職活動まで繋げて行きたいと思っています。最終学年は、忙しい年ですけど、三十名で一丸となって行事にも取り組みましょう。みなさんの協力をよろしくお願いします」
 みんな佐原君の方を眺めている。佐原君を知らない人ってこの学年にいるの? 女子たちを一気に惹きつけた。よく考えたら、目の前にいるクラスメイトは私と佐原君が抜けたのだから、二十八名だったなんて思っていることなのか私。
 うわ、見ていたら目が合ってしまった。佐原君に頷かれる。いいえ、そんなことまでしてくれなくても平気です。佐原君のおかげで落ち着いたので、私からもなにかひとことくらい言えます。視線を教室の方に移した。
 見ない方が良かった。みんなのしらけた視線が怖い。公香と目が合うと、机の上でこぶしを小さく握って頷いてくれた。自己紹介をして、なにか言うだけ。難しくない。どもるのだけはやめましょう。
「鵜飼サトコです! 役員になるのは、はじめてです。クラスの代表として頑張ります。よろしくお願いします!」
 全員の視線が怖くて、慌てて頭を下げる。やたらと大声で言ってしまった。クラスの代表になどなれると思えない。佐原君、ごめんなさい。役になど全く立ちませんでした。ぱらぱらと拍手をされる。
「学級委員の二人は、今日の放課後、生徒会室で会合がある。卒業遠足が目の前だ。学級委員任せにせず、みんなからも積極的に意見を出して行くように。これを会合に出る前に読んでおいて」
 担任からプリントの束を渡される。え? もう会合があるの? 卒業遠足も生徒会の仕切りなの? それはその係を決めましょうよ。顔をあげると担任と目が合った。本当に私がやるのですか。どう見ても無理でしょう!
「わ、わからないときは……」
「そうだ。言っていなかった。今年は、奥村先生が生徒会顧問になった。自動的に隣のクラスが生徒会の代表になる。気楽に聞けばいい。ホッチキス止めはしておいて。頼んだぞ、鵜飼」
 担任がポンと私の右肩の上にまた手を置いたのは……。さっきのひとことずつでいいと言い足していたのも。
 ノーセイ。やはり聞くまでもないってやつですね。
「残りの時間は、昨日の自習課題の復習をする。ふたりともついでに問題を解いて行って」
 クラスメイトがざわつく中、担任がチョークを走らせていく。ついでになにを言われているのか分かりません。
「この間にプリントを返すぞ。出席番号一番から!」
 担任から自習のプリントを返される。赤く添削されている。テストの時と同じに出席番号順に渡している。私と佐原君は朝に出したのにもう戻って来た。プリントにバツ印しか見当たらないのは気のせいですか?
「鵜飼さん……」
 隣で囁かれてビクリとなってしまった。佐原君からチョークを渡される。いえ、もう本当に気にしないでください。プリントの束を半分に折り畳み、受け取ったチョークを握り直し、慌てて黒板に向かった。  長い数式を眺める。うそ……。こんな問題をいつ習いましたか? 全く分かりません!
「佐原、正解。さすがだな。鵜飼、放課後までに解いて再提出」
 担任に貧乏ゆすりをしながら言われる。なんてことだ。全員がいつの間にか席に戻っている。
 静まり返る中、席に着いた。本当に分からなかった。佐原君は、隣で難しい数式の方をゆっくり解いてくれていたのに。

 今日はもうリタイアさせていただきたい。始業日の翌日だから午前授業だ。でも、クラブ活動があるし、午後二時から生徒会の会合の予定が増えた。考えただけで気が重い。まだ生徒会顧問作成のプリントを読めてもいない。
「後は焼き上がりを待つだけです。質問はありますか?」
 クラブの顧問が一番前のキッチンで作りながら言っている。家庭科の女性教師だ。教員の中で最年長というだけあって貫禄がある。
 前の方のテーブルの生徒たちが手を挙げて質問をしている。一番後ろの私たちが挙手したことはない。
「よしと。サトコ、今の話を聞いていた?」
 トレーに並べたカップケーキはいつの間にかオーブンに収められていた。家庭科クラブは楽だからって、ぼんやりし過ぎだ。
「わ、わたし? なにもしていなくてごめんね。片付けはするからね」
「いいよお。サトコ、朝から委員の仕事で疲れているからさあ。座ろう」
 公香はやさしい笑顔で返してくれた。公香が座った隣で秀美は、飾り付けるレーズンやチョコチップを分けた小皿にラップをかけている。三人の中で一番私の行動が遅いし、不器用だ。焼き上がりを座って待つ前に、調理台の上のボールや泡だて器の調理器具を水につけ、ふきんでテーブルを拭くくらいさせてください。結局、数学の問題も解けず、黒板の名前を消すしか出来ませんでした。。クラブでも同じようで自分が嫌になりますけど、後片付け係にはなれます!
「公香君、ちょっと違うのだな」
「なにがあ?」
「私は、分かったの」
 チチチと言って、秀美は人差し指をふり、ずいっとこっちに身を乗り出して来た。ワクワクと光る眼を見返していた。分かった? 昨日の渡り廊下でも似たような笑顔で同じように言っていました。嫌な予感がする。
「サトコは、佐原俊行のことが好きだよね」
 秀美の目を見返していた。相変わらず大きいですね、私もそのくらい迫力がある眼になりたいものです。
「学級委員で話すようになっただけだってば」
「あまーい! この秀美様の目をごまかせません。あなたの目は、佐原を追っている!」
 人差し指を鼻の頭につけて断じられる。カップケーキは誰にあげようかと後ろのテーブルの下級生たちが話しているのが耳に入った。
「あ、カップケーキを永岡君にあげたいのなら、協力するから」
「自分も協力をして欲しいと言えないのかい?」
「私はいいの」
「サトコは水くさい! 悲しい」
 バン! 手のひらでテーブルを叩かないでください。なにごとだ? と隣の同級生のグループが見ています。
「秀美、わたしは」
「話してくれる気になった? いつから佐原を好きなの?」
 コロッと秀美は笑顔になった。
「ええっ?」
 叫んだ。自分でも驚くくらい声が出てしまった。でも、まさか。そんなはず。そんなことない……。
「なにを言っているのかわからない」
「なになに。サトコにも片思いの人がいたの? 秀美はどこで気が付いたの?」
「永岡にもファンクラブがあったと知った時から?」
「ジュースを買っていた時?」
「ちゃんと気が付いたのはね。でも、学級委員で一緒になってからのことだと思えない。いつからなの?」
「サトコが覚えていないのに聞いてもさあ」
「いつ好きになったのか覚えていないとは、どういうことなんだい! 自分の気持ちでしょうが」
 誰が覚えていないと言いましたか? 私ですか。佐原君を目で追っていません。仮にそんな時もあったとしても、それに気がつかれたことが分かれないと言ったのです。
「いつの間にかってあると思う」
「なんとなく好きになったの? でも、そんな告白をしても佐原のやつを落とせると思えない」
「ね、声が大きい。あまり騒がないで」
 やっとのことで言った。いくらテーブルごとに好きな者同士のグループで分かれていても、調理室が広くもない。
「だって、全然、分からなかった。私に誰も好きな人がいないから気にしていたの?」
 公香はくちびるをとがらせている。秀美は前から永岡君に片思い中だ。秀美の彼氏でもないのに、私に好きな人が出来たら公香がひとりになると気を使いません。私がひどいのですか?
「そうじゃないの。私が佐原君とどうにもなりたくないからだよ」
「どうにも? どういうの?」
 今度は公香に首をひねられた。どうにもなりたくないって、分かり難いですか。今認めたことになりませんか? 黙りましょう。
「公香は好きな人がいないのだから、分からなくても仕方がないよ。サトコは秘密な恋がしたいのだ」
「え! 秘密にしておきたいの? そんな風に好きなの?」
 公香が声を小さくして聞いて来る。なんか楽しそうです。秘密な恋のそんな風とは、どんな風ですか?
「そうだよねえ?」
 秀美が面白そうに聞いて来る。頷いた。佐原君が好きか? と聞かれれば、好きだ。でも、それ以上でもそれ以下でもない。上手に説明ができない。だから、仲良しの二人にだって、秘密にしておきたかった気持ちだ。
「えー。サトコ、佐原君がいいの? 私たちは、中学校の時から一緒だけど、タラシで有名だよ」
「公香、どうしようもなくもてている、というべきではない? サトコの好きな人は佐原なのだから、タラシなんて言い方はよくない」
「そっか。悪口に聞こえるからねえ。だったらさあ、どうしようもなくもてて、女のことばかりいる佐原君、と言えばいい?」
 公香に首を振る。佐原君のキャッチコピーを考えてくれなくていいですし、名前を連呼しなくていいです。
「男の親友はいるし、彼女たちでもあったはず」
「分かりました。秀美様。どうしようもなくもてて、いつも彼女ばっかり作っている佐原君は変わらないよ」
 なにも分かりたくありません、秀美様。公香は椅子に座り直して見上げて来る。どう返して欲しいのですか。
「そうだよね……」
 二人の早い会話の展開にいつもついて行けない。女の子たち相手でも会話をするのが苦手でしかない。
「そのどうしようもなくもてて、いつも彼女を作って、女の子とばっかりいる佐原君を、好きなサトコがどうしたの?」
 公香、長いです。自分の気持ちを認めさせられて、顔全体が熱くなってきました。テーブルを磨きます。
「永岡と佐原君は、近所に住む親友なのだよ」
 親友? 秀美と目が合った。公香はふうんと聞いている。親友代表、ケンゴ君が言っていた。
「しかも明日が誕生日!」
「え、誰の?」
「だから佐原の!」
「えー。それ誰から聞いたの?」
「秘密!」
 秀美が叫び、公香が大きく返している。お願いですから静かにしてください。ふたりからじっと見つめられる。
「……わたしも知らなかった」
「気にしなくていいの。私が私の想いのために調べたのだから。私のことを応援してくれるのだったら、佐原君とサトコが親しくなって、永岡とろくに話したこともない私をうまく仲に入れて」
「うまくと言われても」
「永岡君を囲む会を開いてくれてもいいでしょう! 佐原を囲む会も同時に開いていいから」
 え、それってどういう会ですか? でも、私の想いも自分と同じなのだと考えてくれている。それをはっきり言える秀美はすごい。でも……。
「このままでいいから」
「佐原のやつは、珍しく今フリー。ちんたらしていたら、そのどうしようもなくもてて女とばかりいる」
「彼女ばっかり作っている佐原君、だよ。男子の親友がいるし、女の子ばっかりといるとは思わないと秀美が自分で言っていた」
 どっちでもいいです! 似たようなものです。佐原君のイメージは、みんな似たように思っています。
「だから、サトコのように、ちんたらとばかりしていたら、せっかく同じ学級委員が一緒で、放課後もお話が出来ると決まっているのに、また彼女が出来ちゃう! 佐原は中学校時代から見ていても、来るもの拒まず状態だ。つまり、私が考えるに」
「分かった! 今が告白時(どき)です」
「そうだ。公香、今がサトコの告白時なのだ」
 二人で盛り上がっている。周りに聞かれたくないと言ったから、秘密の恋になり、多少は抑えてくれているようでも、傍のテーブルには絶対に聞こえている。このクラブに佐原君のファンの人たちはいない。でも、噂を立てられないかは別の話です。なにやらノートで筆談を始めた二人をどう止めればいいのかも分からない。
「あの、そんなに話を勧めないで」
 声が思うように出ないながらも抵抗をしておく。ここまで二人に興奮されてしまうと、簡単に引かないように見える。
「大丈夫。サトコには私たちがついているから」
 公香に強い調子で言われる。学級委員の挨拶をする時、目と目が合ったら応援してくれた。秀美も後ろの方で頷いてくれていた。でも、そっちにまで目を向けられなかった。私のことは分かってくれてもいる。
「でも」
「くじ引きで佐原が当たったの。今告白をしなくてどうするの」
 秀美が本当に怖いです。本当にどうしたくもないのです。佐原君と永岡君が一緒にいるのを見たことがないのは私だけなのですか? それって、佐原君を目で追っていないことにもなりませんか? 佐原君を視線で追っている女の子たちは多いのですから、そんなに見ていたらばれかねません。
「今日の放課後、ふたりきりになれたとしても、サトコが告白をするのは苦しいと思う」
 公香に何度も頷く。よく言ってくれました。放課後の課題にそんなことまで加えないでください。
「うーん。誕生日カードをつければどうだろう」
 秀美は腕組みをして公香を見下ろしている。むこうで顧問の先生に班長が呼ばれている。行かねば。
 私が一番前の教壇に向かい、好きな者同士のグループのテーブルに戻るまで二人は筆談を続けていた。
「今日のカップケーキのレシピを貰って来た。これに入れておくね」
 両面刷りのプリントを濡れていないテーブルにおいて、名前が書かれたフォルダーに入れて行く。
「サトコ、誕生日カードにひとこと書いて貰うことになった」
「名付けてラブレタープロジェクト」
 え? と秀美を見た。公香はレポート用紙の表紙を捲り、胸の前に掲げている。
 ラブレタープロジェクト。太いペンで可愛く書いてある。戻って来る班長たちに見せないでください。
「目立っているから」
「そんな風に可愛く睨んでもダメ―!」
 秀美が両手でバツ印を作っている。だったら本気で睨みます。もうやめてください。部活動の時間です。
「サトコ、平気だよ。私たちのことなんか気にされていない」
 首を振る。今の問題です。そのレポート用紙はなにでしょう? と見て行く班長たちの視線を感じてください。
「その通り。お互いに気にされる存在になるため、明日の朝七時半、下駄箱に集合」
「ラジャ! 大場公香、親友たちの両想いの応援ため、全力を尽くします」
 公香が立ち上がり、笑顔で敬礼をしている。いいえ。ここでもなにを言われているのか全く分かりません。

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