IFをあげる

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読み切り完結


 地元の繁華街を越えた裏手の土手を上り、川に沿ってサイクリングロードを歩いていた。
  ふっと振り返る。誰か来た気がしたのに、後ろには土手と色とりどりの花畑、灰色のビル群が続いていた。風が動いた。空を見上げる。あの日の薄青い空と同じ色だった。
 雲もなく快く(こころよく)澄んでいた。うんと遠くに飛び立って行ったあの人を見送った日と同じ色。
「わたし、なにやっているのかしら」
 呟いて川が見下ろせる道を歩き続ける。舗装されたサイクリングロードにでこぼこはなく、邪魔な石ころや空き缶なども転がっていない。天気のいい日にただただ歩き続けるのにはちょうどいい道だ。はたと立ち止まり、目の前の電話ボックスを眺めた。
 最近、ポストや電話ボックスを見かけるたびに。手帳や便箋や葉書を手に取るたびに。ため息をついている。
 あの人に連絡を取りたいくせに。もう一度会いたいくせに。
 特に用事もなくて。ちょうどいい理由が見つからなくて。どうしたものかと迷って。気が付けば息を吐いている。
 好きだから。
 もし、それだけで会えてしまったのなら、どんなに幸せだろう。
 恋人でも親友でもない。わたしは友だちでもないかもしれない。年賀状だけの繋がりの同級生だ。
「わたし、バカね」
 また呟いて首を振ってひとり苦笑いする。
 こんなに素敵な空の日なのに。あの人と毎日のように自然に会う接点がなくなってしまったあの日と同じ色だから、心は晴れるどころか切ない。
“僕たちは今日、それぞれの新しい道に踏み出し、見知らぬ世界へ旅立つため、通い慣れたこの校舎から卒業します”
 卒業生代表、その後に続いた名前を忘れる日は来ない。
 あの頃のわたしは、卒業アルバムの寄せ書きページに連絡先を書いて欲しいと、油性のマジックペンを彼に差し出して、よく頼み込めたものだ。
 それだけではない。卒業式後の教室の盛り上がりの中、連絡先を書いて貰ったのをいいことに、季節が廻った時期によく年賀状など出せたものだ。
 彼にとって親しいクラスメイトのひとりの認識だったかどうかも、あやしいのに。
 彼からの年賀状は年初めの三日に届く。大して変化がなかった。
 見事な毛筆体でお決まりの挨拶文があり、干支(えと)の絵がカラーで印刷をされている。
 裏書の左下には、家の住所と家族の名前も並んでいた。ご両親と妹さんの字面まで覚えてしまった。
 ネットで無料配布をされている年賀状のテンプレートを利用して、彼がパソコンで家族用も自分用も分けずに作成をしているのは想像がついた。
 年賀状の後ろの方の空いたスペースにかんたんなひとことは沿えてある。両面印刷の典型例だ。表面の宛名は彼がボールペンで書いて返してくれていた。
 そのひとことの内容にしろ、家族用の年賀状が元旦でなく三日に届くのにしろ、元旦に届いたわたしの年賀所に返事をしてくれているのだと思う。
 今時なあの人が忙しい留学の合間を縫って年末年始に実家に帰るたび、わたし宛によく返事をくれてもいるものだ。
“お元気ですか? 僕は相変わらず日本と海外を行き来してバタバタと過ごしており、年末年始だけは家に帰って来ています。懐かしいですね!”
 わたしの代わり映えしない手書きの年賀状に対して、そんなひとことをボールペンでよく添えてくれるものだ。
 もう何年も前の自分に感心する。みんなとお揃いの憧れのセーラーの制服を身に着け、同じように違反をしていた。スカートは腰のベルト部分で丸めて折って短くし、ブランドものの長袖のセーターをだぶつかせ、流行っていたポニーテールにするために髪を伸ばし、ちいさい水玉模様の生地をみんなで買って切り分け、放課後に家庭科室に集まり、ミシンを使って手作りしたシュシュで結んで、あの人の取り巻きの女子のグループの一員として、教室の中心で笑っていられたのだから。
 一層のこと、旅立ちの日が雨だったらよかった。その方が今のわたしにも似合っていた。
「これじゃあまるで初恋の後遺症ね」
 大型犬の散歩をのんびりとしている老人とすれ違い、知り合いでもないのに会釈した。ひとりでぶつぶつとしながら挨拶をしてくる。本当にあやしい人間かもしれない。心のどこかでこんな自分が好きだとクスリとして歩き続ける。
 でも、恋じゃないわ、と思う。あの人が実際にこの辺でランニングをしていたのを見かけるまで、年賀状の繋がり以上を長いこと求めなかったし、“暇な時に連絡してくださいね!”というようなひとことを葉書のはしっこにも書かなかったからだ。
 会いたいの。可愛い女の子のように素直に言えたらいいのに。外見がちっとも可愛くなかろうと、あまり自信がなかろうと、深く考えずに動けた昔の自分自身のようになれたらいいのに。でも、わたしはみんなに合わせているのがやっとだった。
 会いたいの。もし、年賀状に印刷された自宅の電話番号にかけて彼を呼び出し、電話口でそう言ったら、どうなるの?
 どうにかなるの? 今になってどうしてそう思ったの? この前、この辺で見かけた彼があまりにも変わっていなくて、すぐに分かって驚いたから? あの頃の気持ちがリアルによみがえったから? あの頃と同じわけもないのに。彼もわたしも。
 今どうしているの? 日本に留学先の大学から帰って来たの? それとも長い休みになって帰って来ているだけなの? 自分に自信があり、いつもクラスの中心にいた彼だったら、元クラスメイトを見かけた時に気楽に声をかけて、そんな風に聞けてしまうのだろう。
 少なくとも、わたしと彼は、高校二、三年生の時はクラスメイトだったから。わたしにとっては、一番仲の良かった男子だから。好きだから。ううん、好きだったから。もし、なにでもない関係だったのなら……。
 なんでもなくてもいいじゃないの。そんなことを言う自分が想像できない。今ある思いのどれかひとつでも言葉にする勇気が出ない。
 空を見上げる。
 理由なんかいるのだろうか。わたしは、今の彼と色んな話をしてみたいのだ。また会いたいから、会いたいと伝えたいだけなのに。
 何を怖がっているのだろうか? 連絡をしてあの人に冷たくされることか。傷つく言葉を投げつけられることか。それとも、君に年賀状を送っていた? 覚えていないなあ、などとまで言われてしまうかもしれないことか。
 もし、そこまで言われてしまったなら、年賀状も来年から来なくなってしまったなら、ショックを受けるのだろうか? そこまでできた自分を褒めてあげる気にもならないのか?
 分からない。やっぱりあの人の目を見て考えなければ、なにも分からないままなのだ。
 目を細める。真っ直ぐに続くサイクリングロードのむこう。ずうっと先の見えない高台がある公園。あそこがゴールだ。
 もし、この道を運動不足の私が走り続けて、あそこの高台まで辿り着けたのなら。
 もう一度、あの人に会いたい。理由はなにでもない。もう一度だけ会って話して欲しい。そう伝えて、お互いの目を見て話して貰う。どう思われてもいい。
 よし、全力疾走だ。
 もし、それが叶ったのならば。“もしかしたら”の先を二人でたくさん探りたい。

【おわり】


矢印記録
初稿 2019-07-24
改稿 2020-09-05

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