読み切り完結
ぼくたちは終わりかもしれないね、と言ったのは、あなたの方。
そうかもしれないね、そうならもうさようならだね、と言ったのはわたしの方。
「でも、別れるのはね、やっぱり、ね」
やっぱり、ね? あなたが低くつぶやいた言葉を頭の中で反芻(はんすう)した。……ね?
一緒のコタツに入り、さっきまでみかんを分け合って食べていた。ケンカする前の半分の実だけがコロンと小さなコタツの上に転がっている。わたしがこのみかんを半分に割って皮をむいてあげたのに、あなたが更に半分に割って笑顔で返して来たからカチンときた。
やっぱり、ね? の後を続けて欲しくなくて、どうでもよすぎるケンカの理由の欠片を眺め続けていた。
わたしの視線を追うようにして、みかんを見ているあなたの視線を感じていた。この四つに分けて残った半分のみかんはどっちのもの? まだふたりのもの? そんな風に考えてしまう私がおかしいの?
あなたは、みかんが食べたくなかったわけじゃないと言っていたけれど、わたしは残りの半分をもう食べたくない。同居をはじめてから、どうでもいいケンカが多い。
わたしたちの関係そのもののようで、くだらないケンカを二度としないために、あなたに嫌味なことをするのはやめてね、と言っただけだった。でも、あなたは嫌味なんか言っていないと怒ってしまった。それもわたしの発した言葉から予想が出来る展開だったのに……。
思い切って顔を上げ、あなたのその言葉にすがりつくようにして瞳を見つめた。
その厚いまぶたも、顔にかかる前髪も、すべてすべてわたしのもの。まだ。
お別れなんて言えるわけがない。わたしたちの出会いは運命だった。
近所の図書館で、好きな本を同時に手にとって知り合った。
使い古されたシチュエーションだったかもしれないけれど、運命だった。
あなたが手に取ろうとしていた本は、私が昔に何度も読んで泣いた作品だった。
その本をわたしと同時に選んだあなたは、目が合った瞬間に付き合うべきだと決まっていた。
誰が何をどう言おうと、あなたと出会った瞬間だけは、絶対に運命だった。
わたしたちの関係を続けて行って、どうなるか先は分からないけれど、あなたの傍(そば)にいさせて欲しい。
お互いの一番の趣味の読書の好みは、ぴったりだった。それ以外は全く合わず、こんなに揉めてばかりいる。
同じ本が同じくらい好きだろうと、その本への愛着心や価値観まで同じとは限らない。当然のごとく、分かっている。それでも、運命だと信じている。ずっと一緒にいて欲しい。わたしの押し付けかな? わがままなのかな?
あなたも身勝手じゃない? 何気ない会話のどこから急に不機嫌になったのか分からないのだから。
今、ここまで揉めている原因は、さっきまでの会話の中のひとことのせいなのかな? そのひとことのせいだとしたら、どれなのかな? 二人が出会う前の出来事をあなたが話してくれないと、また責めるように言ってしまったからなのかな? みかんと関係がないだろ、と怒らせたものね。それとも、カップルによくあるような根本的な何かが問題なのかな? 一緒に暮らしてみたらお互いの好みや価値観が合わないと判明した……。
そのどれもが当てはまるのだ、と言われたら、終わり“かもしれないね”でなくなる気がして聞けない。
やっぱり……。わたしにはあなたがよく分からない。毎日、こうやって向き合って話しているのに、ケンカばかり。こんな関係はもう終わっているのかもしれない。
そんなことはどうでもいい。どうでもいいの。
だって、あなたは、まだ終わりだと言い切ったわけじゃない。
コタツに視線を落として、終わりかもしれないね、と呟いたまま黙りこくっている。
そうかもしれないね、と自分の口が発したのも驚くくらい、あなたの傍にいたい。
離れたい、とどれだけ言われたとしても、子供のようにいやだ、いやだ、と叫んで泣いてすがりたい。
だって、あなたのこと好きだもの。
即答が出来る。何も考える必要がない気持ちだもの。でも、あなたの今の苦しそうな顔に対して、それだけの言葉じゃ足りないよね。
同年代のわたしたちは社会人になって十年年以上も経った時期に出会ったよね。
付き合ってから一緒に暮らすようになる時間は短かった。でも、その前にいろんなことがあり過ぎた年代だったよね。休日の図書館で初対面だったから、お互いの職業すら察しようもなかった。誰にも話したくもなければ、思い出したくもない出来事が以前にあったのも同じだったよね。だからこそ、わたしたちは分かりあえた。
あなたを苦しめているのは、たまにぽつりと語られる忘れられない過去からの束縛なのか、わたしとの揉め事からなのか、分からない。そんなわたしはひどいのかな。ひどくていいから先に言わせて。
前髪が隠すあなたの瞳を覗き込んではっきりと告げた。
「わたしはやっぱり、あなたのことが好きだからね」
あなたと出会った時、あまりに泣かせるせいで手放してしまった本を探していた。
その作者やタイトルすらも正確に思い出せなかったから検索が出来ず、市内で一番大きな図書館でさんざん探し回っていた。好きな本だったのに。その本を手放すことで泣かせる問題そのものから逃げた。
あの頃の自分自身には二度と戻りたくない。手元にずっと残しておくより、手放してしまう方が楽だった自分が自分で好きじゃなかった。
あなたは息を吐いて、ゆっくりと顔をあげ、わたしの瞳を真っ直ぐに見て来た。
「バカ。ぼくは大好きだよ。そんなことを言うの、二度とやめてよね」
やっぱりずるい。
寂しいと泣き叫んだ朝、嬉しいと喜び合う夜。あなたの思うままなのだもの。